スマダン読者の皆さん、はじめまして。マドカ・ジャスミンです。

普段はライターや合コンコンサルタントとして活動していまして、この度スマダンでも執筆させていただくことになりました!(パチパチ)
テニプリ好きの中学生だった私が「港区女子」になって失ったもの

記念すべきスマダンでの第一作ということで、担当者さんと何を書こうかと相談に相談を重ねましたが、なかなかいい案が出てこず……。

そんな話し合いの中でこのようなことを言われました。


「マドカさんって昔から明るく元気なんですよね」


え?


ちょっと待ってくれ。

たしかに合コンコンサルタントと名乗ったり、西麻布のバーで店長をやったりと「はいはいキラキラね」みたいに思われています。
テニプリ好きの中学生だった私が「港区女子」になって失ったもの

が、が!!!!!!

私の初恋の相手は何を隠そう、ウルトラマンティガ。
小中学生時代のダーリンは、「テニスの王子様」の丸井ブン太。
(といいつつ推しメンたくさん)
テニプリ好きの中学生だった私が「港区女子」になって失ったもの
小5の時に撮ったプリクラ

高校時代からはリアルなメンズとあれそれあるようになったものの、メンタルが荒れると大音量で流すのはテニプリのキャラソンや特撮ヒーローの曲たち。
周りから根明と思われている私は、実際はただの根暗だし、陰キャラでしかないんです。つらい。
テニプリ好きの中学生だった私が「港区女子」になって失ったもの
19歳の時に撮った写真


根暗だった私が『マドカ・ジャスミン』になった理由


そもそもの話、なぜ『マドカ・ジャスミン』をやっているか。

言っちゃえば、鬱屈した学生時代に憧れた“理想像”。
都会を闊歩し、色んな友人に囲まれ、メディアに出て、きらびやかな夜に身を投じ、素敵なパートナーに恵まれ…最後のだけ実現していないのはさておき、そんな理想像が自分の中にあり、その結果が『マドカ・ジャスミン』なのです。

なので、化粧をしたり、着替えたりするときは私にとっての変身。

「ああ…外界なんて無理…」と起きた瞬間から絶望している朝も、アニメソングメドレーを流しながら“変身”すれば! 都会を駆け抜けるマドジャスに変身完了!ってな感じ。
テニプリ好きの中学生だった私が「港区女子」になって失ったもの

変身完了後はさぞ陰キャライキりイキリオタクを隠しているかと思いましたよね?ね?
ところがどっこい、見た目をいくら繕おうが人の中身の根本は変わらないもの。

例えば、皆さんは様々なシーンで、新しい人と仲良くなることがあるじゃないですか。
そんな時、私の脳内ではこうなります。


「新しいキャラktkr」


漫画やアニメで新キャラクターが登場する場面ってあるじゃないですか。
新しい人と知り合った瞬間、まさにそんな感覚になるんです。

しかも、勝手にキャラクタービジュアル化した人たちが頭の中に展開される。
厨二病全開だし、シンプルに気持ち悪いのですが事実なのです。
テニプリ好きの中学生だった私が「港区女子」になって失ったもの


望んだ自分になったはずが…


こんな陰キャライキりイキリオタク厨二病(増えた)もここ3年ぐらいは自分をひた隠しにしようと頑張っていました。
傍から見れば、「パリピ」「キラキラ」「港区女子」「リア充」など内面と真逆な評価をされるようになり、望んだ自分になれたとは思います。毎日が楽しくて仕方ない日々が続いていました。
テニプリ好きの中学生だった私が「港区女子」になって失ったもの

けど、いい影響ばかりではなかったんです。
それはなぜか。
一言で言えば、「自分の好きが分からなくなった」。

無意識にネットはおろか、リアルですら周りからどう見られるかを病的に気にするようになっていました。何を買うか、着るか、食べるか、どこに行くか、誰といるか、どう振る舞うか…すべて『マドカ・ジャスミン=パリピ、キラキラ、港区女子、リア充』として良いか悪いかが判断基準。気がつけば、「こうしたい!」ではなく、「マドジャスならこうする!」になり、最終的には大切な人を傷つけてしまうことに…。

この事が原因で今年の夏のほとんどを家で過ごしていた私。
SNSを眺めればカラフルな写真を毎日のように上げる友人たち、携帯には色んな誘いの通知があふれる。
去年ならきっと体力も惜しまず夏を謳歌していたことに違いない。不思議なことに今年はそうならなかった。

「私は何がしたいのか。何が好きなのか…」

メンタルはこれでもかと大荒れ。特撮ヒーローの曲を爆音で流し続けながら、リビングのソファでボーっと考える。考え続けていると、夏もとっくに過ぎていた。


飲んで騒いでも好きだけど、元々は違った。漫画キャラそれぞれにヒロインを作って妄想を繰り広げたり、特撮作品を観ながらぶつぶつと独り言や時にはいきなり叫んだりするのが好き。カラオケでも自分の好きなアニソンや特撮曲を歌い続けたい。笑い方だってもっと気持ち悪い。

仕事上でそれを隠すのはいいとして、私は隠すどころか否定していたんです。

それを好きなのはダサい、格好悪い、必要ない、マドジャスじゃない。好きで堪らないものに嫌いと嘘をつき、すべてを他人ありきで進めていたことに気づいたときはとんでもなく怖くなりました。「私は私であることに価値を感じてもらえている立場なのに、その私は自分であって自分じゃなかった」と。

自分の好きと嫌いは果たして何なのか。正直、お酒の大量摂取なんて大っ嫌いだし、仲良い人以外と関わりたくない。トロフィー目的にハイスぺック男子と寝るなんて時間の無駄だし、それなら家で特撮作品を観ていたい。仕事柄で許されると思われているセクハラなんて本当に無理。本が読みたい、映画が観たい、そういった時間を共有できるパートナーが欲しい。仲間が欲しい。特撮ヒーローが大好きでその仕事がしたい。書くことも大好きって認められたからもっと書きたくなった。

「何が好き? 何をしている時が楽しい?」の質問に正解を必死に探していたけど、思ったことを言うだけでよかったんだ。好きな人にも「~だから好き」を探すんじゃなくて、「好き」でよかったんだ。簡単なことに今まで気づけなかったのか。理解した瞬間、涙が止まらなかった。


自分の“好き”は誰の“好き”?


他人の目よりも自分の気持ちを再確認すると、いろいろ見えるものも変わってくる。今執筆している内容や仕事を否定するわけじゃなくて、それを土台にして今後自分が何をやりたいか。今までは他人の目からの“好き”で仕事を選んでいたけど、これからは自分の“好き”を指標に生きていきたい。22歳の今、そう思えたのはすごく大きなことでした。

「好きなことして生きていく」このフレーズについて、今一度考えてほしいです。
仕事だけじゃなく、人間関係も含め、あなたの“好き”は果たして本当にあなたの“好き”ですか? それは誰かの“好き”ではないですか?
人生は長くても80年ほど。限られた時間をどう働くか、生きるか。
ぜひ一度考えてみてください。“好き”は、意外と見えていないものです。
テニプリ好きの中学生だった私が「港区女子」になって失ったもの

(マドカ・ジャスミン)