連続テレビ小説「ひよっこ」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第26週「グッバイ、ナミダクン」第156回 9月30日(土)放送より。 
脚本:岡田惠和 演出: 黒崎 博
終わっちゃったよー「ひよっこ」156話。続編の可能性はラストカットのあの赤い服が握っている
連続テレビ小説「ひよっこ」 オリジナル・サウンドトラック/ビクターエンタテインメント

連続朝ドラレビュー 「ひよっこ」最終回はこんな話


みね子(有村架純)は、ヒデ(磯村勇斗)と結婚。
・・・そして、人生は続く。


伏線回収2


イチコのカットで、ナレーションの増田明美が最終回の挨拶というのは、増田明美はいつの間にか、イチコに憑依していたのだろうか?
そんな疑問はさて置き、すずふり亭にやってきた谷田部家。
家族でハヤシライスを食べる、長年の夢がかなった。
ヒデ(磯村勇斗)がキャベツをきれいに盛り付ける。これが、職人意識の高い設定だったヒデの最大の見せ場となった。
そのあと、ヒデは、家族にみね子との結婚を許してもらう。
「幸せになることを諦めません」ときっぱり。
宗男(峯田和伸)は、「勝ったんだよ、勝ったんだ たった今、悲しい出来事に幸せな出会いが勝ったんだよ
最高だよ」と咽び泣き、「どうだあ、人間は強えぞ」と大声を出して、滋子(山崎静代)にたしなめられる。
宗男は、最後の最後まで、ブレてなかった。

そして、いよいよ、お重の登場だ。
「そういえば、重箱預かってもらったままでしたね」と実(沢村一樹)がふいにつぶやく。
思い出したのか! と場はざわつくが、
「あ、ごめん、全部思い出したわけじゃなくて、そんな気がしただけ・・・」だった。

「いいんだそれで、ゆっくりでいい、いいんだ」と茂(古谷一行 宗男が叫んでるときの、困ったもんだっていう感じの顔が最高)。
沢村一樹、渾身の虚ろな瞳。

そこへ、155話で寸止めされた『歌自慢』場面が回想で出てきて、みね子は泣きながら(嬉し涙)歌う。
記憶は戻らないし、歌自慢の結果も視聴者には知らされない。
みね子の結婚も、式の場面がなく、すずふり亭のテーブルで婚姻届に判を押すのみ。

なつかしの田神先生(津田寛治)が登場して、みね子と時子(佐久間由衣)と三男(泉澤祐希)の幼馴染たちが裏天広場でしみじみから「がんばっぺ」ポーズ。
最後は、みね子がカメラ目線で「みんないっしょにがんばっぺ」(赤いコートは上京してきた時のものと似ているがボタンが変わっていた)。

なんて、清々しい終わり方だろうか。

最終回で「またね」とみね子が言うことで続編を匂わせているのでは、というニュースが流れていたが、「またね」ではなくて良かった。続編があるにしてもないにしても、一旦、すっと終わりにしたほうが美しい。

記憶は戻らないし、歌自慢の結果も視聴者には知らされないし、結婚式の場面もない、続編を匂わせない、そういう慎ましいところこそが「ひよっこ」だと思う。

続編といえば


岡田惠和は、続編をやりたい発言はしている。
彼がはじめて手掛けた朝ドラ「ちゅらさん」はパート4まで続編をやったという前例もある。
本来、74年まで描く予定だったそうなので、少なくとも、69年から74年までの話を続編で書くことは、可能であろう。

岡田にインタビューしたところ、「渡る世間は鬼ばかり」(橋田壽賀子作)みたいなホームドラマのシリーズ化したいそうだ。
「「渡る世間」は、一組の夫婦とその5人の娘の嫁ぎ先、それぞれの家族について描き、1990年〜2011年まで10シリーズ作られ、つい最近もスペシャルが放送されたご長寿ドラマ。俳優は徐々に年をとり、中には亡くなってしまった人もいて、キャスティングを微調整しながら、続いている家族ものだ。
岡田が本気だと思うのは、みね子の妹・ちよ子(宮原和)と進(高橋來)の俳優を替えないぎりぎりのラインが4年間の物語にしたことだ。ふたりの俳優を替えずに半年乗り切った。最終週の家族のあたたかみは、宮原と高橋でなければ出せなかっただろう。

途中から違う俳優に代替わりしないことで、共感が途切れない、むしろ情が移っていくことがある。

例えば、1万円エピソードの元ネタではないかと言われている、倉本聰の名作「北の国から」シリーズ(81年〜02年 フジテレビ  「‘87初恋」で泥のついた2万円のエピソードが有名)も、登場人物がほぼ変らず、吉岡秀隆や中嶋朋子など、子供から大人へ、ドラマと共に年を取っていく俳優たちが愛された。

TBS 系列でやっていた「愛の劇場」の、「大好き!五つ子」(91〜04年)シリーズや、「涙くんさよなら」が主題歌だった「天までとどけ」シリーズ(91〜04年)も、俳優が変らず、彼らの成長を含めてシリーズとして楽しめたドラマだった。

女の一代記であると同時に家族のドラマでもある朝ドラにも、これらの作品のように、何年かに一回、開いた年の分だけ年をとった家族の物語がシリーズとして放送する作品があってもよさそうで、岡田がそれを狙う気持ちもわからなくはない。
登場人物と演じる人間とが混ざり合って、あたかも生きている人物のように、その長い人生を描き続けることは作家の醍醐味なのだろう。視聴者としても、自分と同じ時間を生きて、長く応援できる登場人物がいたら楽しい。

みね子とヒデに子供ができて、その子供の世代までお話が続いて、みね子がいつか愛子の年齢になり、鈴子(宮本信子)の年齢になるまで話が続いたら素敵だ。
富さん(白石加代子)の年齢までいったら凄すぎる。


前田みね子 と牧野愛子


クレジットが、前田みね子と牧野愛子になっていたことで、視聴者が沸いた。
これには、大河ドラマ「花燃ゆ」(15年)の最終回で、主人公がようやく結婚して、楫取美和になっていたときの嬉しさを思い出した。
三男は角谷のままで、まだ婿養子に行っていなかった。

彼らがこれから、人妻になっても、婿になっても、いつかどこかで再会できたら、松下(奥田洋平)や和夫(陰山泰)のように、さらりと喜びたい。「おぉ、みね子か」と。

もうひとつ書くと、みね子が最後に赤いコートを着ていたわけだ。

最終回に出てこなかったが、初回から注目されていた、ミニチュアが素敵なタイトルバックの映像の中で、赤い服を着た女の子がところどころ出てくる。みね子なのか?とNHKに問い合わせたことがあって、それは観る人の想像に任せたいと回答されたことがあったが、最後に、赤い服をみね子が着て出てきたことで、あのタイトルバックの娘が、どこかの街に、ずっと生きてるんだなあなんてしみじみした。

いつでもどこでも、誰の隣にも、あの赤い服の娘はいる。
(木俣冬)