『天空の城ラピュタ』と言えば「バルス」祭り。
2016年1月15日の放送では、90万バルス。
言った瞬間の23時23分14秒に、5万5千バルスが飛び交ったそうな(「もう一つの「バルス」」より)。
ファンが一斉に盛り上がれる共通言語があるのは、とても楽しい。
ただし「バルス」はラピュタの滅びの呪文だ。
みんなでお祭りツイートしている時、ムスカは誰の愛も受けること無く、一人で死んでいる。
今夜「天空の城ラピュタ」「読める、読めるぞ!」まっすぐに夢を追い続けた男、ムスカ大佐の哀しみ
「ロマンアルバム・エクストラ 天空の城ラピュタ」資料価値が半端じゃなく高いので、オススメ

元はいなかったムスカ


ムスカは宮崎駿の最初の企画原案には存在しなかった(ロマンアルバムより)。
主役がパズー、ヒロインがシータというところは同じ。
野望をむき出しにして襲ってくるのは、チック大佐というヒゲのおやじ。

ここから、見た目は将軍に、ラピュタ王家としての野心はムスカに引き継がれる。

初期構想だと、パズーとシータの関係はいわば『タイムボカン』の丹平と淳子みたいなもので、博士ではなくドーラが配置された変形型、と宮崎駿は語っている。
じゃあムスカは敵・悪役なのかというと、人を殺したことはさておき、少なくとも宮崎駿本人は明言していない。
むしろ、ムスカの背景をたどると、パズーの対になる存在として据えられているのが見えてくる。

地道に頑張り続けたムスカとパズー


本名ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタの「ウル」はラピュタ語で王。シータと彼は、王家の末裔だ。
「脚本準備稿」によると、疫病が流行り、高い科学力を持ってしても解決できなくなり、祖先のラピュタの民たちは地上に降りてきたらしい。
OPにそれらしきシーンが1カットだけある。
今までの豪華な暮らしを捨てて、ゴンドアの谷でほそぼそと生きてきたのが、シータ側の先祖だ。
シータ「ラピュタがなぜ滅びたのか、私よくわかる。ゴンドアの谷の詩にあるもの。土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を超え、鳥と共に春を歌おう。
どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」


一方でムスカ側の先祖は、農耕生活に見切りをつけて、産業革命にあわせて谷を出ている。
ラピュタ伝承の古文書をもとに、あるのかどうかもわからなくなってしまった天空の城を探し始めた。

ムスカは、たった一人でその大きすぎる悲願を継いだ。
ラピュタの存在を信じ、知識を蓄え、大佐の地位も軍も、使えるものはなんでも利用した。
一般的には大佐といえば40代以上。32歳(ロマンアルバムより)で大佐になったムスカは、相当頑張ったのでは。


一方でパズーは、詐欺師呼ばわりされて死んだ父を証明するために、ラピュタに行きたいと願っていた。
シータが来なかったら、こつこつ作った飛行機で行くつもりだった。
彼の給料と空き時間を考えると、気が遠くなるような地道さだ。
2人の絶対曲がらない執念と、努力の積み重ね方は、ゴールが違うだけでほぼ変わらない。

ムスカの人間臭さ


ムスカの名言「読める、読めるぞ!」
伝承にあった「黒い石」に刻まれた文字を、手帳と照らし合わせながら読んでいく。裏返った声が印象的。
「伝承の通りだ!」

古文書のラピュタ語が正しいのか、知るすべがない。
それでも伝承を調べ、一つ一つメモをとり解読し続けてきた。
飛行石が光った時も「古文書にあったとおりだ!」と、うっとりした声を上げている。
彼はワクワクしながら、事実かわからない古文書を信じて、読んでいたんだろう。

彼がネットで愛され続けている理由のひとつが、この人間臭さだ。
冷淡で残忍なキャラクターに見えて、ラピュタの事実を目の前にすると、子どものようにテンションがあがる。

自分の知識をペラペラしゃべっちゃうあたりは、えらくオタクっぽい。
飛行石による石版の操作はイメトレと素振りはしていると思う。
ピュアでまっすぐなイメージを残す描写が、本編随所に織り込まれている。ネットではおちゃめなムスカの二次創作がとても多い。

ムスカと堀越二郎


宮崎駿作品では、自分の情熱を掲げ過ぎた男たちの苦しみがしばしば描かれる。
その最たるものが、『風立ちぬ』の堀越二郎。
努力家で天才として描かれるものの、彼の人生はだいぶクレイジーだ。

飛行機を作りたいという夢を叶え、仕事に勤しむ。
彼は鬼になりすぎた。奥さん菜穂子をあまり顧みなかった。素晴らしいものを生み出そうとするが故に、犠牲は膨らんでいった。

カプローニは二郎に「飛行機は美しくも呪われた夢だ。大空は皆飲み込んでしまう」と語る。
カプローニ「君の十年はどうだったかね。力を尽くしたかね」
二郎「はい、終わりはズタズタでしたが」
カプローニ「国を滅ぼしたんだからな」

自分の作った飛行機が戦場に行き、誰一人帰ってくること無く、国は戦争に負けた。
しかし亡き妻には「あなた、生きて」と、カプローニには「君は生きねばならん」と言われる。
苦しみは背負って生き続けよ、という宣告。
夢を追うことは、呪い。宮崎駿本人の生き方に通じる思考だ。
美しいアニメをつくりたいという呪われた夢「風立ちぬ」(エキレビ)

ムスカはというと、パズーとシータの反逆により、何もかも失ってしまった。
国の軍勢を滅ぼしてまで夢を追った彼は、生きて責任を負うことすらも許されなかった。
二人とも、理想を実現するところまで来たのに、その後に絶望している。

一方でパズーは、死を覚悟してラピュタで滅びの呪文を唱えた後、シータと生き延びた。
ラピュタ崩壊後、2人は元の住処に戻っている。
「翼の関節部分の金具が、今日まで貯めたお金で買えそうなんだ。完成したら、必ず飛んでいく。ゴンドアまでの航空地図はもう作ってあるんだ。あとはシータが送ってくれた地図があるから家までいけるよ」「小説版 天空の城ラピュタ 後編」より)
今夜「天空の城ラピュタ」「読める、読めるぞ!」まっすぐに夢を追い続けた男、ムスカ大佐の哀しみ
小説版表紙 内容はアニメに基本忠実で、細かい部分付け加えられている。ラスト3ページ、後日談が書かれている

パズーはまだ幼い。ムスカや堀越二郎と異なり、彼の夢は次の夢へ、もっと自由にせよと背中を押されている。
宮崎駿は「男の子が女の子と出会ってひと肌ぬごうという(笑)話で、男になった」映画だと語っている(ロマンアルバムより)。
パズーは、この映画を通じて、子どもではなくなり、責任を背負って夢を追う人間の一人になっていく。

幼い頃のムスカは、パズーのように無垢に夢見る少年だったんじゃないか。キラキラした目でラピュタの伝承を眺めながら、大人になったら絶対ラピュタ語を読み解こうと心に誓ってたかもしれない。
……という思いを噛み締めながら「バルス」したいと思います。

(たまごまご)