連続テレビ小説「ひよっこ」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第26週「グッバイ、ナミダクン」第154回 9月28日(木)放送より。 
脚本:岡田惠和 演出: 黒崎 博
「ひよっこ」154話。谷田部家のフラワー革命だっぺよ、なんだそりゃあ
イラスト/小西りえこ

「ひよっこ」154話はこんな話


1968年、みね子(有村架純)が奥茨城村へ帰ると、田んぼが花畑になっていた。

大きなニュースだらけの半年でした


「ひよっこ」はつくづく波乱万丈なドラマである。
これまで2回、放送はミサイルのニュースで休止になり、154話の昼の再放送は、衆院解散のニュースで15分遅れになった。
朝の放送は、関東で大雨のテロップに囲まれていた。しかも、みね子が花畑を見ているときに、茨城県に竜巻注意報が出て、SNSが不謹慎にも沸いていた。
「時代と添い寝する」という言葉があるが、まさにそんな感じのドラマ。あと2回だと思うと、名残惜しいばかり。

花つながり


153回で、弟妹に「おばちゃんになっちまったのか」とからかわれた(というか挑発された)みね子。
「ちょっと〜」「なにこれ〜」を連発するところは、やっぱり少々おばちゃんぽい。
「ちょっと〜」「なにこれ〜」とみね子が驚かせたのは、田んぼが花畑になっていたこと。

これによって谷田部家の暮らしが楽になる、これぞ「フラワー革命」だと、宗男(峯田和伸)は息巻き、「なんだそりゃあ」と茂(古谷一行)ツッコまれてしまう。

アメリカ西海岸のフラワームーブメントと、早苗(シシド・カフカ)が彼氏と向かった“花のサンフランシスコ”を、ここでつなげた上、流行の先端を行き過ぎている宗男の話が珍しくわかるという、みね子の成長(世界が広がっている)も描かれているのだ。前は、ビートルズもストーンズもわからなかったのに。
みね子が1UP(生命保険のCMで使われている言葉)したのを、茂も感じたことだろう。

こういうところは、岡田惠和の脚本家としてのガッツを感じる。

さらに、ここ最近、ちゃかちゃかしたエピソードが多く、初期のしみじみ感をなつかしむ視聴者の気持ちをわかっているかのごとく、みね子の「なんか放り出されたみたいな気持ちになってしまって」「それに馬鹿みてえだけどこの花に私が負けた気持ちにもなって」というしんみり感を描く。


「私がいなくても大丈夫」?


花ビジネスは、みね子に仕送りの苦労をさせたくないという、実(沢村一樹)の親心でもあったのだが、みね子は急激に自分の存在意義を失って不安な気持ちになる。
「お父ちゃんは大丈夫」「私がいなくても大丈夫」

ふだんは楽しくやっているようで、みね子はやっぱり少し不安定。
自分の夢や目標がない分、他人のために頑張っていることに生きる意味を見出しているので、必要とされなくなった途端、軸足を見失ってしまう。

だが、今更、そこ? という感じもしないではない。
114話で、彼女は、実家に帰ってすぐに、すずふり亭に戻ろうとしたことがあったから。東京に自分を必要としてくれている人がいることが、彼女の励みになっていたではないか。37話でも「東京の人になっていく」という話を正義(竜星涼)としていた。
だから、今更、まだそこで立ち止まるか? とも思うが、こういうのは、徐々に徐々に浸透していくもので、まさに、みね子は、東京の人になること(要するに自立)に関して、3歩進んで2歩下がっている状態なのだろう。

畑で、遠くを観るみね子の表情は、吹っ切れた感じ(有村架純、渾身のいい表情)。
これで、みね子の結婚(今度は夫に依存)への道筋が整った。

男と女


もはや、みね子に残された道は、結婚しかないだろう。
今度は、夫、ゆくゆくは子供を支えて生きていく。新しい家族を作る。そんな、標準的な考え方が、奥茨城村の3つの家族の集まりに現れていた。

男たちは居間(畳)、女たちは台所の脇の板の間で、食卓を囲む。
東京では、男が中に閉じ込められ、女が外で、コンテストのリハーサルをしていたのに。
まあでも、みんな楽しそうだから、いいと思う。

新旧対決


女優になった時子(佐久間由衣)は、順調に仕事をしているようで、復帰した世津子(菅野美穂)と共演していた。
「あなたの時代は終わったんです」という時子の台詞に、「女優としての私のこと言われてるみたいでドキッとした」という世津子。そこで、「そんなことないですよ〜」とか媚びずに、共演の夢がかなって嬉しいというようなことを返す時子に自信を感じた。
時子もガッツがある。
(木俣冬)