今夜の金曜ロードSHOW「千と千尋の神隠し」だ!
ジブリどんだけやるんだよ、もう金曜ジブリSHOWでいいんじゃないかーって言いたくもなるが(来週は「となりのトトロ」ですよ)、何度やっても視聴率取れちゃうんだからなー。すごいなー。

『千と千尋の神隠し』は、2001年7月20日に日本公開された宮崎駿監督の劇場用長編監督作品8作目。

八百万の神々が集う湯屋を舞台に、10歳の少女、千尋が大冒険を繰り広げるファンタジーアニメーション。
神々のやることですから、もう理屈なんか通用しないのをいいことに、これでもかと詰め込まれた奇想と絢爛。
「これどういう意味だろう?」なんて考えたりせずに、豪華で躍動感あふれる動く絵に心酔して楽しめばいいんだけど、さすがに、もう何回も観てしまったって人も多いだろうから、ここらで、さらに、もっと楽しむために、7つのポイントに注目してみました。


【1】実は娼館を舞台にした物語って本当?
「千と千尋の神隠し」は娼館を舞台にした物語である。と、映画評論家の町山智浩が指摘している(ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記)。

日本版「プレミア」の2001年6月21日号で、監督本人が“「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」”と答えているらしいのだ。
「ロマンアルバム 千と千尋の神隠し」のインタビューでも、湯屋に大浴場がない理由を聞かれて、こう答えている。
“そりゃあ、いろいろいかがわしいことをするからでしょうね(笑)。”
そういったイメージを含むことは確からしい。
また、こうも答えている。

“あれは日本そのものです。ついこの間まであった紡績工場の女工たちの部屋とか、長期療養所の病棟とか、みんな千尋が暮らす湯屋の従業員部屋のような、ああいうものだったんですよ。日本は少し前までああいう感じだったんです。”
娼館でしかないと考える必要はなくて、さまざまな働く現場というものをイメージの源泉としてもっているのだろう。


【2】カオナシって何者!?
カオナシはカオナシだ。でいいような気もするのだが、何かと気になるキャラクターである。

宮崎駿は、後半の展開をどうするか悩んでいる時に、たまたま、まだ名もつけてないキャラクターが頭をよぎり、あれを使えばいいんだと気づいたと、語る。
“ですから、こういうキャラクターを出そうと思って始まったものではなくて、無理矢理ストーカーになってもらったんです。プロデューサーは僕のいないところで、「あれは宮さんの分身だ」と言って回っているらしいですが、僕はあれ程危険ではありません(笑)。表情がない上に体が半分透明ですから、手間のかかるキャラクターでしたが、その割には存在感がなくて困りました”(『「千と千尋の神隠し」を読む40の目』P106:完成披露会見:帝国ホテル)


【3】竜になったハクの大きさはどれぐらい?
何度か観ていると気になってくるのは竜になったハクの大きさ。なんだか、シーンによってまちまちのようなのだが?
『「千と千尋の神隠し」を読む40の目』の作画監督対談にその話題が登場する。
竜になったハクの大きさを聞かれて、「千と千尋の神隠し」の作画監督、安藤雅司はこう答える。

“カットによってまちまちです(笑)。”
フレキシブルな方が面白いということらしいのだ。


【4】最後の豚の群から父母を当てる展開は唐突すぎない!?
いわゆる一般的な脚本構成なんて超越したところで作られているので、展開の因果関係についてあれこれ考察するのは野暮すぎるけれど、物語上のクライマックスかつキーポイントとなるイベント「お父さんとお母さんを当てまSHOW」は、いくらなんでも唐突すぎるのでは?
「これは決まりなんだよ、じゃないと呪いが解けないんだよ」って湯婆婆が言うんだが、そんな決まりがあるんなら事前に言ってよ! さらにかぶせて、千尋が「おきての事は、ハクから聞きました」なんてセリフがあって、観てる側は「聞いてないよー!」とツッコまざるを得ない。
この腑に落ち無さを解消するのが『クラバート』という小説。
「千と千尋の神隠し」の発想の源となったと監督本人も語っている作品だ。
っつーか、どうして他の「原作あり」のジブリ作品はあんなに改変してても原作だって言っちゃうのに、こっちは重要な構造やシーンがそうとうに同じなのに原作っていわないんだろーかと不思議になるぐらいの小説。

旅乞食の少年が水車小屋で働いて、親方にしごかれるんだけど、これが魔法も詰め込み教育しちゃう恐ろしいところでした! という展開で、3年間を描く構成が素晴らしい。
因習だらけで何にもわかんない1年目から、全貌がわかって旧弊した組織を構造改革して抜け出す3年目まで、きっちりした展開で、野田首相もすぐに読むがよろしい。
カラスに変身した12人の職人から1人を当てるというテストが、『クラバート』でも物語上のクライマックスとして機能している。しかも、こちらでは、しっかりと、なぜこのようなテストが行われるのか、なぜ当てることができたのか、が腑に落ちる展開になっている。
重厚なファンタジー作品としても大傑作、「千と千尋の神隠し」を観てる人は30倍ぐらい面白く読めるファンタジー小説です、大オススメ。


【5】服、いつ着たの?
湯屋に就職して働く千尋。
彼女が勤め人として別の彼女になることを象徴するのが、まずは名前だ。荻野千尋という本当の名ではなく、湯屋では千と呼ばれる。
もう一つ象徴的に扱われるのは、靴と服だ。
公私を分けるためにも、着るモノは重要だろう(参照:会社員はガンダムである)。
作品の中で、靴や服を脱ぐシーンがていねいに描写される。私服と湯屋ユニフォームのチェンジが象徴的に扱われるので注目してほしい。
で、後半、千尋が電車に乗って銭婆のところに行く前、リンが盥船で千を駅まで運ぶシーン。湯屋の衣装を脱ぐと、千尋は下に私服を着てるのだけど、あれ、いつ着たの? その前にススワタリに「みんな、私の靴と服、お願いね」って言って渡してなかったっけ? それに湯屋ユニフォームは肩のあたり切れ込みがあって、直前まで肌が見えていて下に私服なんて着てないように見えるのだけど、どういうことだろう?(何か見落としている可能性があるので、気づいた人は教えてください)


【6】成長したあとの千尋が、また母にすがりつくのはどうして?
最初、トンネルを抜けようとするとき、怖がった千尋が母にすがりつく。母は「千尋、そんなにくっつかないで。歩きにくいわ」と言う。
そして終盤、今度はトンネルを抜け出るときに、千尋はまた母にすがりつき「千尋、そんなにくっつかないでよ。歩きにくいわ」と言われる。
一般的な展開ならば、千尋が成長して、母にすがりつかずにしっかりと歩く、という描写にするだろう。どうして、そうしなかったのか?
おそらく、それは、成長物語に対する不信だ。
“最近の映画から成長神話というようなものを感じるんですけど、そのほとんどは成長すればなんでもいいと思っている印象を受けるんです。だけど現実の自分を見て、お前は成長したかと言われると、自分をコントロールすることが前より少しできるようになったぐらいで、僕なんかこの六十年、ただグルグル回っていただけのような気がするんです。だから成長と恋愛があれば良い映画だっていうくだらない考えを、ひっくり返したかったんですね。”(『折り返し点』P267:『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』)


【7】エンドクレジットの最後に出てくる絵、あれ何?
エンドクレジットの最後、「おわり」という文字が出るときに、背景にモノトーンの絵が映し出される。この絵が、何だかわからない!
実は、ここ、監督は、真っ黒なバックにしようと思っていたとか。
ところが、“「水に流れていく靴の絵が欲しい」と編集の人に言われまして、それで「僕が描くから」となって、それなりに真面目に描いたんです。絵も、実際に写しましたら周囲に「何だか分からん」と言われまして。僕は一人で「分かる」と言い張ったんです。それで、「もういい。このまま出す」ということで、ああなりました(笑)。”(公開初日舞台挨拶:日比谷スカラ座)
というわけで、あれは「水に流れていく靴の絵」。そう言われてじっくり観ると、そう見えなくもないよ!


「千と千尋の神隠し」、ひさしぶりに再観して、いやー、ここまでデタラメな話だったかと驚き、同時にそのデタラメな話にグイグイとひきこまれることにも驚く。(米光一成)