あれは「ももいろクローバーZ」を見にわざわざマレーシアまで行った頃だから、2012年の初夏のことだ(そのときの顛末はエキレビでもレポートした)。出発の前に、ももクロの曲を少しは勉強しておこうと、渋谷のタワーレコードに足を運んだ。
そこで見た光景は強烈だった。

普段は足を踏み入れることのないアイドルCDの売り場フロアへ行く。まず目についたのは「AKB48」と、それに類するグループのCDが大量に並んだ棚だった。こうしたショップでは、棚の規模がそのままジャンル内での勢力図を表す。「エーケービー、あいかわらず売れてんなあ」と、マヌケな感想をもった。

目当てのももクロはすぐに見つかった。
AKB一門に比べれば規模は小さいが、まあそれなりの展開はされていた。とりあえず、当時の代表曲的なものが収録されている『バトル・アンド・ロマンス』を手にとって、レジへ向かう。すると、その途中になんだかものすごくたくさんグループ名の仕切板が挿さっている棚があった。

なんだこれは? と注視してみると、そこには名前をきいたこともないようなアイドルグループのCDが大量に並べられていたのだ。そこにどんな名前があったかは、いまとなっては覚えていない。ただ「いまアイドルってこんなにいるの!?」と仰天すると同時に、自分の時代からの取り残されっぷりに笑ってしまったことを覚えている。


ももクロが注目を集めていたとき、盛んに言われていたのが「アイドル戦国時代」という言葉だ。それくらい群雄割拠しているということだったのだが、いまはそれどころの騒ぎじゃない。表舞台で活躍するメジャーなアイドルはもちろん、地方から出て来たローカルアイドルや、ほとんど自主制作的な地下アイドルまでいて、その全貌はなかなか把握できない。
姫乃たま『職業としての地下アイドル』地下アイドルとヲタたちの優しい関係
『職業としての地下アイドル 』姫乃たま/朝日新書

地下アイドルが書いたアイドル論


前置きが長くなりました。本人も地下アイドルで活動する傍ら、ライターとしても様々な媒体で精力的に執筆する姫乃たまが、『職業としての地下アイドル』という本を出した。これは、AKB一門を頂点とするなら、その対局にあって巨大な三角形の底辺を支える地下アイドルたちの世界を考察したものだ。


本書がこれまでに書かれた「アイドル論」と大きく違うのは、まず著者がいま現役で歌い踊っている地下アイドルであるということ。もうひとつは、本書のかなりの部分を占める分析が、現場のアイドル自身や、そこに集うファン(それらはヲタとも呼ばれる)の生の声を元にして為されているということだ。

そこから見えてくるのは、アイドルとファンとの幸福な関係性だった。地下アイドルは、おもにライブハウスや路上でライブをする。当然、ファンとの距離は近くなる。ガードマンもいない。
だから、メジャーなアイドルよりも生臭いことがあるのではないかと想像していたが、それは杞憂だった。事務所が守ってくれないからこそ、そこにつく客の良識が問われるのだ。

本書には、地下アイドル自身が書くからこその視線の優しさが、随所にあらわれる。それはアイドル自身へ向けたものだけでなく、ファンの男の子たちへも向けられる。

〈そういえば私はずっと、ファンの人たちが、「つまらない」と口にしないのを不思議に思っていました。
 最初は、控えめで優しい性格のために言えないのか、あるいはわざわざ地下アイドルにネガティブなことを伝える必要がないからかと思っていましたが、次第に彼らは普通の人だったらつまらないとか、稚拙だと感じるようなことでも、すぐに魅力を見出して楽しむことができる人たちだからなのだと気が付きました〉(P.147より)。



昨年、小金井市でシンガーソングライターの女性をファンが刺すという殺人未遂事件があった。多くのマスコミは、それを「地下アイドルとキモいオタクの危険な関係」という構図で報道しようとしていた。だが、それは事実と違う。犯人はオタクだから刺したのではないし、地下アイドルの現場はファンとのあいだに痴情のもつれが生まれるようなものではない。そもそも、被害にあった女性は地下アイドルでさえなかった。

こうした先入観ありきの報道に対して、姫乃たまという人は「そうではないのだ」ということを徹底して訴え続けていた。
いくつもの言葉と時間を尽くして、その誤解を解くよう努めていた。それは何よりも、彼女自身が地下アイドルというものを愛して、その場に立っている自分に誇りを感じていることの証しだろう。

この本を読むと、地下アイドルの現場に行ってみたくなる。そして、何よりも、姫乃たまの現場に足を運んでみたくさせる本でもあった。
(とみさわ昭仁)