今回は70歳代の方メインに話を聞いたが、その世代でもクリスマスプレゼントの記憶がある人はかなりいた。おもちゃやお菓子などといったアイテムも、いまの時代となんら変わりがなかった。
●「もらった派」の声「小学校低学年の時に、おもちゃとかまくらをもらったわ」(71歳・女性)
「はじめてのクリスマスプレゼントは、幼稚園ぐらいの年齢の時ね。
「10歳ぐらいの時にもらったわ。長靴にお菓子が入っていたの」(72歳・女性)
「僕はね、7歳か8歳の時にサイコロキャラメルもらったな。あと足袋!」(75歳・男性)
●「もらっていない派」の声一方、小さい時のクリスマスプレゼントの記憶が「全くない」という方も。
「小さい頃はもらわなかったね。周りを見ても(プレゼントの習慣が)ある家庭とない家庭、半々だったと思うよ。あっ、でも20歳ぐらいの時に彼女とプレゼントを交換したのは覚えてるな。
「普通の家庭ではなかったわね。私が20歳ぐらいの時から(クリスマスプレゼントの習慣が)はじまったんじゃないかしら」(76歳・女性)
中には、こんな方も…思わず身が引き締まる言葉だった。
「僕はね…戦争孤児だったんだ。栃木から一人で東京にやってきてね…だからこれまでクリスマスとかプレゼントとかは関わりがなかったよ」(73歳・男性)
「私らの頃は生きていくのに必死よ! クリスマスどころじゃなかったわ」(70歳・女性)
◆仮説・一般家庭に広く普及していったのは昭和30年以降から?割合としては「もらった派」と「もらってない派」でちょうど半々に別れる結果に。
歴史をさかのぼると、日本にクリスマスプレゼントの習慣が持ち込まれたのは明治時代と言われている。救世軍が貧民へのプレゼントとして、果物・パン・菓子・玩具などをくばったのがはじまりだ。そこから大正時代~明治時代にかけて家庭にも普及していった…というのが教科書的な流れのよう。
だが聞き取りをしてみて、実際に広く一般家庭に普及していったのはもう少し後、戦後復興を果たした昭和30年以降ぐらいから、と推察してみた。
今回話を聞いたのは、ちょうど幼少期が敗戦の記憶と重なる年代の方たち。戦後の経済状況の違いによって、クリスマスを楽しめる家庭・楽しめない家庭で大分差があったのではないか。
さらに話を聞く中で見えてきたのが、いまも昔も変わらぬ「定番アイテム」の存在だ。
●靴まず靴(靴下)だ。いまもプレゼントが靴下に入っているのは定番の形だが、さらに靴型の容器(ブーツ)にお菓子が詰め合わせされている形もある。これにも70年近い歴史があることが分かった。
「長靴の中に板チョコが入っていてね。
この「クリスマスブーツ」に関しては日本独自のもののようで、海外では見られないという。一説には滋賀にある「近商物産」が1947年(昭和22年)にこのクリスマスブーツを発売して以来、全国に広まったと言われている。これは確かに、先の「小学校低学年ぐらいの時に~」というタイミングともぴったり重なる。
プレゼントとは直接関係はないが、クリスマスといえばツリー。これも60年以上前から日本に根づいていたことが分かった。昔はいまと違ってプラスチックのお手軽ツリーなどない。
「私は秋田県の生まれなんだけど、山から木を切ってきて本物のツリーを用意したわ」(71歳・女性)
「クリスマスと言えばやっぱりツリーよ。もちろん生木のだったわね」(70歳・女性)
最後に、この巣鴨取材の日、ただ一人向こうから声をかけてきてくれた紳士から「イブの日、銀座~日本橋でパレードしていた」という貴重な証言を得ることができた。
「よう~おたくら何してるの? クリスマスの記憶だって? 俺は小伝馬町の生まれなんだけど、昔のクリスマスイブの街の賑わいったらなかったんだ。いまなんておとなしいもんよ。昔はこんなに人が沢山いてよ…銀座から日本橋までみんなでパレードしてんのよ。みんなでお酒飲みながら歩いてんのよ。当時俺は12歳ぐらいだったんだけど大人はすげえなって思ったのよ。よう~」(75歳・男性)
この小伝馬町の紳士によると、いまでいう「ハロウィンパーティー」のようなどんちゃん騒ぎだったそうだ……本当だろうか……この紳士から放たれるお酒の臭いが真偽をあやふやにさせる。こちらは追って事実関係をリサーチしたい。
◆まとめ今回の巣鴨取材から分かったこと。
・想像していたよりクリスマスプレゼントの歴史は古かった
(昭和30年代~から本格的に一般家庭にも普及?)
・あげるものや定番アイテムもいまと共通する点が多い
(お菓子やおもちゃ、靴にクリスマスツリー)
今日、明日と家族と顔を合わせる方も多いだろう。読者の皆さんも是非、自分の親御様やお爺様・お祖母様にクリスマスの記憶を聞いてみてほしい。きっと思わぬ思い出話しに花が咲き、日本のクリスマス文化の奥深さが感じられるハズ。