1990年1月にリリースされた徳永英明の名曲『夢を信じて』。実は『壊れかけのRadio』よりも売れている、徳永最大のヒット曲だ。

アニメ『ドラゴンクエスト』のエンディングテーマでもあり、歌詞も曲調も世界観にマッチ。この曲を通じて、新たにファンになった方も多かったはずだ。

しかし、当時の徳永はこの曲を歌うのが嫌だったという。一体、何が気に入らなかったのだろうか?

「ドラクエ」をアニメ化……テーマ曲を徳永英明にオファー


言わずと知れた国民的大ヒットRPGをベースにアニメ化された『ドラゴンクエスト』。
キャラクターデザインはゲームと同じく鳥山明だったが、ストーリーはドラクエ1~4までをミックスした完全オリジナルだ。
放送が始まったのは『ドラゴンクエスト4 導かれし者たち』が発売される直前。まだファミコンソフトだったのだから隔世の感を禁じえない。


漫画やアニメがゲーム化されることはよくあったが、逆にゲームがアニメになるのは当時としては異例。この新しい試みに、フジテレビは力を注いだ。徳永への曲の依頼もその一環である。

アニメは子供のもの!? 『夢を信じて』に愛着がもてない理由


徳永は80年代末に『最後の言い訳』『恋人』など、大人の恋愛を描いた作品がスマッシュヒット。これにより、自身の歌手としての方向性を見つけたが、スタッフの間にはファンの年齢層が上へ伸びていることへの危惧があった。
そんな中での、このオファー。若い世代を取り込みたいスタッフにとっては、願ったり叶ったりの大チャンスだ。


しかし、アニメは子供のものという認識がまだまだ色濃かった時代、アニメ主題歌の価値も低く捉えられがちだった。徳永は自分の音楽性を守るため、当初はこの話をかたくなに拒んだという。

スタッフの説得に根負けし制作には入ったが、目指す方向性とは違うターゲットを意識した作品の上に、様々な意向から何度もリテイクを重ね、曲や歌詞も自身の納得の行く仕上がりにはならない。
結局、完成時には他人の曲を歌わせられている感じがしてしまい、愛着がもてなくなってしまったようなのだ。

そのため、文化放送のラジオ『全国歌謡ベストテン』で90年度の年間チャート1位を獲得するなど、時代を代表する名曲になったにも関わらず、徳永の生歌がテレビで披露されることは滅多にない。ライブに至ってはその後15年以上も披露していないのである。


シンガーソングライターゆえのこだわりとジレンマ


今や、カバーを得意とする徳永だが、このころはシンガーソングライターとしてのこだわりが人一倍強かった。
実際、出世作となった『輝きながら…』のヒットの際には「人が作った曲ではなく、自分の曲で勝負したい」 と、自身が作詞・作曲していないために素直に喜べないコメントを残している。

また、『風のエオリア』のヒットの際にも「売れたのはCMのおかげ」とチクリ。この曲は同名のエアコンのCMのために作られた曲なので、その露出やコンセプトで売れたと思われることが嫌だったようだ。

小室哲哉が司会を務めた深夜番組『TK MUSIC CLAMP』に出演した際には、音域が広い曲で勝負している自分が売れないのに対し、自分の感性とまったく異なる音域の狭い小室の曲がヒットする世の中に悩んでいた時期があったと告白。

そして、その狭い音域で作った『夢を信じて』のヒットに対し、「(夢を信じてが)一番売れてしまった時に『ああ、小室哲哉ってスゲえな』って思ったんですよね」と、複雑な思いも語っている。

「一番売れてしまった」の言い回しから、徳永のプライドがのぞけるのが興味深い。

自身の曲づくりには妥協したくない。でも、ヒットを生むためには信念を曲げなければならない。
『夢を信じて』に限らず、真摯に音楽を追求するからこそ抱えてしまうジレンマに、徳永は長い間悩まされてきたのである。

01年に「もやもや病」を患って以降、「自分のため」から「人のために歌おう」という気持ちが大きくなったという徳永。
『夢を信じて』は、2010年ごろにはテレビやライブでも披露されるようになり、2013年の紅白では目玉にもなっている。


今では、胸を張って歌える代表曲となったと信じたいが、果たして……。
(バーグマン田形)

※文中の画像はamazonより夢を信じて