北野武と桑田佳祐。今更、語ることなどないと思うほどの、日本の芸能界・音楽界を代表する天才です。
どちらもそれぞれの分野で類稀なる実績を残す大御所ですが、唯一異なっているのが活動の幅。
桑田が音楽という分野だけに突出した能力を発揮しているのに対し、武のフィールドは広大。お笑いという持ち場をベースに、映画も監督するし、役者もやるし、小説も書くし、歌の作詞・作曲・歌唱もこなします。果ては、ゲームのプロデュース業だってやっているのです。
一方の桑田はというと、音楽一筋のように思われがちですが、ただ一度だけ他分野へ触手を伸ばしたことがあります。何かといえば、武と同じ映画監督。
そしてその自作映画を巡り、監督業では先輩にあたる武と、舌戦を繰り広げた過去があるのです。

常々映画を撮りたがっていた桑田佳祐


桑田は、80年代の終わりごろに『さんまのまんま』にゲスト出演したとき「映画を撮りたい」と語っていました。1978年に『勝手にシンドバッド』でデビューして以来、当時で既に10年以上日本POPミュージックシーンのトップをひた走っていた男にとって、「音楽以外で自分を表現できる場所」は、マンネリ化を打破する特効薬のように感じられていたのでしょう。

その念願が叶い、1990年。彼は自身の構想を『稲村ジェーン』という処女作にて、具現化します。桑田の生まれ故郷・茅ヶ崎に程近い湘南鎌倉市の稲村ヶ崎を舞台にした本作は、伝説のビッグウェーブを待つサーファーたちの青春物語。当然、音楽は桑田が担当。
自作映画だけあって、『真夏の果実』や『希望の轍』など、今も歌い継がれる名曲を惜しげもなく、劇中歌として使用しています。

『稲村ジェーン』を巡る、武と桑田の舌戦


桑田としては、持てるエネルギー全てを注ぎ込んだ自信作だったはずです。それを前年の1989年に『その男、凶暴につき』で監督デビューし、高い評価を得ていた武が、週刊誌上でこうこき下ろしたのです。
「半分もみないうちに逃げ出したくなっちゃって、こんなに長く感じた映画は初めてだね」「この映画は音楽だけ」
この批判に余程カチンと来たのか、桑田は武に対して「ボクの映画が楽しくないのは感性が低いから」「たけしさんは若者の気持ちが分かっていない」と同じく週刊誌上で反論したのです。

桑田の音楽の才能は認めている北野武


こんな感じで、北野武監督vs桑田佳祐監督の週刊誌上バトルが突如として勃発したのですが、最初に喧嘩を吹っ掛けたかのようにみえる武は、「非難するつもりはない、誤解しないように」とも述べています。武の言うところによると「音楽映画なのに邪魔なセリフがありすぎて音楽を殺している」さらには「音楽と絵でやったほうがインパクトの強いものになる」とのこと。
つまり武は、桑田の音楽的素養は十分認めているのです。
実際、時を経た2015年にも『TVタックル』で、阿川佐和子から「たけしさんは、どなたか天才だと思う人はいますか?」と問われ、真っ先に「サザンの桑田さんとかね。大した天才だと思う」と挙げたことからも、自分よりも10歳近く年下のこのミュージシャンを、相当リスペクトしているのは明らかです。

結局は、映画自体はあまり評価していないということなのですが、武以外の批評家たちの多くもこの映画を酷評しました。それに懲りたのか、あるいは、自分の映画監督としての能力が音楽の才能ほどないことを悟ったのか、この『稲村ジェーン』以降、桑田は映画を作っていません。
あれから25年が経ち、その間に『TSUNAMI』を特大ヒットさせるなど、音楽界で誰も届かない頂に上り詰めた桑田佳祐。武の批判通り、やはり、桑田は音楽の人だったのです。

(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりクイック・ジャパン 106