山尾議員の不倫疑惑、問題にするほうがおかしい
山尾志桜里議員ウェブサイトより

民進党・前原新代表による新体制の目玉人事として幹事長や代表代行への就任が取り沙汰されていた山尾志桜里衆議院議員に不倫疑惑が生じて、世間を騒がせています。

実際に不倫関係にあったか否かの事実は私には分かりませんが、仮に事実だったとしても政治家としての仕事とプライベートの問題は基本的には別次元の話であり、騒ぎ立てるほうがおかしいと思います。


フランスのミッテラン大統領が隠し子問題をジャーナリストに追及された時に、「Et alors ?(それが何か?)」と答えたことは非常に有名です。一部メディアでは離党や議員辞職も検討していると報道されていますが、その必要は全く無いでしょう。


山尾議員をネタにしたいメディアに疑問


山尾議員は「保育園落ちた日本死ね」と書かれた匿名ブログを国会で紹介し、政府の待機児童問題を追及したことで知名度を向上させました。その際、待機児童に悩む働く女性とのネットワークを強めており、大手メディアも山尾議員が子育て世代を代表する議員として、その様子をこぞって放送していました。

聞いた話なのですが、それらの大手メディアは今回の不倫疑惑を報じるにあたって、山尾議員を支持した働く女性の声を集めているようで、見せ方として「待機児童問題で頑張ってくれていた山尾議員がまさか不倫をするなんて失望した!」という声を欲しているようなのです。

ところが、待機児童問題に対して問題意識の高い女性は、山尾議員の不倫疑惑に対してどちらかと言えば「Et alors ?(それが何か?)」という態度の人が多いように感じます。メディアが描きたがっている山尾議員に対する失望のストーリーというのは、虚構に過ぎないと思うのです。



働く女性ほど他人の不倫に興味無いのでは!?


確かに夫だけが正規雇用で、そのお金によって妻や子供が経済的に養われているという男性稼得中心の家族では、妻にとって夫が不倫するか否かは、自分自身と子供の社会保障にかかわる経済的に重要な問題です。不倫から離婚となれば貧困真っ逆さまという展開も十分あり得るわけで、人生を狂わせるかもしれない死活問題だと言えます。ですから、不倫がこの社会に存在することに対して否定的な意見になるのは当然です。

ですが、正規雇用で働く女性は基本的にダブルインカムなので、夫が不倫に要したお金も「本来は自分に渡る予定だったお金」というわけではありません。もし不倫で離婚になったとしても、経済的なダメージを負うことは避けられないかもしれませんが、貧困真っ逆さまという状況になるリスクは、専業主婦や非正規雇用の女性よりも幾分低くなります。

また、先進的な欧米の価値観にシンパシーを感じる人も比率的に多いため、「結婚した後、性的関係を持つ人が一人だけというのは理想かもしれないけれど、人生いろいろだから何かあるのは当然。むしろ人生をより良くするためには現在や過去に全て縛られるのは非常にナンセンス」と考えている人の割合も平均より多いと思うのです。


仮に離婚した後でも、正規雇用で働いているほうが出会いの幅が広いために、再婚のしやすさも向上するでしょうし、実際にそうしている女性が周りにいる人の割合も自ずと高くなります。さらに、ワンオペ育児で夫に愛想をつかして、むしろ不倫したいとすら思っている女性も少なからずいると思うのです。

このような背景により、自分自身が不倫されたり親しい友人知人が不倫された場合には、血眼になって怒ることは皆変わりないかもしれませんが、正規雇用で働いている女性ほど赤の他人の不倫に対して血眼になって反対する必要性は薄く、不倫そのものをバッシングする動機も乏しいのです。

「子育て世代の母親から山尾さんを信じていたのに裏切られたという声があがっている」のような見せ方をしているメディアがあれば、それは一部を切り取ったフェイクニュースではないかと思います。


悪いのは性別格差を悪用した不倫


私もこれまで、乙武洋匡氏や自民党の中川俊直衆院議員等、様々な不倫問題に対して批判を展開してきました。それゆえ、誤解されがちなのですが、私は決して不倫そのものに反対の意を表明しているわけではありません。

あくまで「性別格差を悪用した不倫」に対して反対をしています。
不倫をするのは個人の自由の範囲であり、赤の他人がとやかく言う問題ではないと思うのですが、夫婦に経済的な格差があって女性側の自由が事実上制限されている状況は、個人の問題を超えた社会問題です。

男性議員の不倫の場合はそのような夫婦における格差構造が多く当てはまるので、自ずと男性議員の不倫に批判が集中して、女性議員の不倫はスルーすることになります。もちろんそれは女性という性別を有する人に甘いという意味でもありません。仮に山尾志桜里議員の夫が専業主夫や非正規労働者ケースで夫婦格差があった場合は、当然山尾議員は責められるべきでしょう。

また、たとえ夫婦ともに正規雇用で働いていたとしても、妻がワンオペ育児を強いられている状態では、「夫が不倫したのだから自分も不倫する!」と思っても、物理的に厳しくなります。これも「育児は母親の役目」という性別役割分業をもとに、「性別格差を悪用した不倫」に違いありません。
男性側が叩かれて当然です。


育児をせずに不倫に走るのは児童虐待


女性が不倫をすると「育児放棄だ!」という批判が起こりますが、それも完全に間違いです。これからの時代、育児は夫婦半々で行うべきという先進国的な常識を考えれば、家事育児の半分以上を既に担っている母親は放棄していることになりません。むしろ家事育児の半分を担わずに妻にワンオペ育児をさせて不倫をしている日本人男性のほうがよっぽど育児放棄と言えるのではないでしょうか?

また、これまでは父親は育児をほとんどしないのが常識だったために、子供も不自然なこととは思わなかったかもしれませんが、育児を自己の責務として当たり前に行う父親が増えている中で、「どうして自分の父親は育児をしないの?」と思う子供が増えるのは目に見えています。

父親が育児を妻に押し付けて不倫をしている時、子供はどう感じるでしょうか? 場合によっては虐待と感じることも不思議ではないでしょう。それで娘が男性不信になるケースや、息子が自分自身の男性性に対してイメージを悪化させるというケースがあることを、不倫をしている「ブラック父親」は自覚するべきです。


不倫で盛り上がるレベルの低い国に成り下がった


ベッキー氏の不倫問題以降、不倫ネタはワイドショーで盛り上がる鉄板ネタとして消費されてきました。
実際、メディアコンサルタントの境治氏の調査によると、在京キー局が放送した番組内容の中で「不倫」が含まれる部分の時間は、2016年1月以降大きくなっているとのことです。これは明らかに異常な状況です。

ですが、もちろん「不倫に寛容であれ」というのもいけません。前述のように性別格差やワンオペ育児という社会問題が絡むケースでは、不倫問題を自己責任論の中だけで終わらせることはその被害者を攻撃することと等しいと言えますから。

全ての不倫を肯定・否定の二元論的に捉えるではなく、個別の案件ごとにその社会的背景を考える必要があるのではないでしょうか? とにかくワイドショーや世論が成熟して、単に不倫というだけで盛り上がるというレベルの低い状況から脱することを心から望みます。
(勝部元気)