「どんなに頑張ってもよ、明日より今日の方が若いんだからよ、思いっきり今日は遊ぼうぜ!」
コンサートがはじまり、3曲目『SHAKE』の間奏で木村が叫んだ。
さっそく名言キター!
SMAPのDVD年末までに全部レビューその11。中居「SMAPはここにいるよ」
いろんなことがあった2000年のSMAP
「LIVE Smap」

2000年のコンサート「LIVE S map」


2000年10月14日札幌からスタートした「SMAP'00“S map Tour”」は、全国8ヶ所18公演、約55万人を動員。DVDにはツアー最終日の東京ドーム公演の模様が収められている。
2001年3月14日発売。

揃いのブルーのスーツで登場した5人。『Let It Be』からスタート。アップテンポの楽曲が続いてガシガシ踊っている。全身ヒョウ柄のロングジャケットに着替えた5人。よくみると一人一人微妙に柄が違う。
体の動きにあわせてひらひらと揺れるジャケットがセクシーで品があって、なかなか柄物をこうは着こなせない。

『Fly』を歌い終えると、中居と香取だけがステージに残った。中居がジャケットを着たのを見て、慌てて香取も準備をする。モニターを鏡のように使って後ろ姿もチェックする中居と香取。散々やっておきながら、しゃべりはじめると同時にジャケットを脱ぐ二人。
「でも今日ビデオ撮りだから…」と、再び着る。

脱いだり着たりと忙しいけれど、息がぴったり合った二人はお笑いコンビのよう。
ようやく中居がピアニカを手にした。チャルメラを弾くも最後の音を思いっきり外して、「ピアニカですっ!イエーイ盛り上がった、ヤッター!」。かわいい…かわいいよ中居くん。

香取は「去年はウクレレをやりましたが、今年はなんとボンゴをやりまーす」とボンゴをさらっと叩いた。さあ、いよいよ演奏……とはいかず、ステージで離れた場所にいるのに、モニターでは隣にいるかのように映っているのを利用して、エアキスをしてイチャイチャしてる二人。

「僕と慎吾くんはサタスマもやっているってことで…」中居が仕切り直したところで真ん中に稲垣が登場。ギターを持ったゴローちゃんと中居くんの会話を遮って、半ば強引にスタートさせた慎吾ちゃん。3人で『夏の風を忘れゆく様に』を歌いながら、いろんな楽器を鳴らした。中居くんのタンバリン小さすぎ!

「いつも何か新しいモノを入れていきたっていうのがあるんで」ステージングについてこだわったらキリがないと語る中居。歌って踊って、楽器を演奏したり笑いを盛り込んだり、福袋のようにいろんなものが詰まったSMAPのライブ。

「いつもライヴが終わった後に、してることがあって。
ツアー最後の日ってセットが壊されるじゃない? あれをちょっとねぇ、見るのよ。ひとりで。」

毎年、客席から会場の様子を覗いているという。公演の終了で区切りをつけるのではなく、中居は最後の最後、ステージの解体までを見届けていた。

「なんかこう、さみしくなるというか。なんかねぇ…、やるんだろうけども、「来年できんのかな」ってふと思ったりするんだよね、毎年。何が理由なのかとかじゃなくて。
パーッてライヴが終わった瞬間だとか、急に現実的なところに戻るのがあまりにも、ギャップが激しすぎて。それに脳が…気持ちがついていかないっていう感じ? たぶんそれだけライヴが好きなんだよね。」
(JUNON/2001年2月)
カッコつけようと思えばいくらでもできる環境なのに、こうして胸の内を語ってくれるところが嬉しい。そして、この頃は既に大人気グループに成長していたにも関わらず、コンサートができることを当たり前だと思っていない姿勢に頭が下がる。


2000年に向けてSMAP5人のキーワード


『non・no』2000年1月号に5人揃って登場したSMAP。2000年に向けたキーワードや、メンバーから出されたお題に答えていた。

中居「あえて書き初めのように新年の気持ちを言葉で象徴するとしたら、『遊び心』でしょうか。なんでもきっちりしたくなってしまうタイプなんですけど、きっちりやるのも仕方ないですからね。
ある程度、遊び心がないとしんどいかなってことがやっとわかってきました」

木村「今のSMAPって完全に大人のグループだからね。周りに何と言われても、どっちでもいいんですよ。「あいつら仲悪いんだよ」って言われても「めちゃくちゃ仲いいんだよ」って言われても否定しない。そう聞かれたら「ああ、この人はそんなふうに思ってるんだな」って思うだけ。メンバーのプライベートがどうであろうと、ふだん、どんなファッションでいようと、だれも突っ込まない。っていうか、ウチらの場合、すべて受け入れるから」

稲垣「SMAPはね、昔のほうがもっと友達みたいだった。今は自分たちを冷静に見る目を持っているし、それぞれ着眼点も鋭いと思う。だから5人そろうと、いい意味で緊張感がある。逆に一人の仕事の時のほうが甘えてるかもしれないな」
時間の有効活用を挙げた稲垣。24時間じゃ足りない、もっと勉強したり吸収したりしたいと語っている。

草なぎは、稲垣から出されたお題『役者・草なぎ剛について』に答えた。
「ぼくはまだ全然自分のことを役者だと思ってないよ。だって歌も歌ってるしバラエティーもやってるし、役者っていうと、役者一本でやってる人に申し訳ない気がする。もちろんそんなジャンル分けなんて必要なくて、その時その時に一流であればいいんだとも思うけど。」
アイドルに限ったことではないけれど、批判されやすいことは確か。
草なぎは役者に敬意を払いつつ、たとえ批判されても「そうは言っても実際にやってる人には勝てないだろ」という強い気持ちを覗かせていた。
「マネージャーさんに毎年毎年言われるんだよ。「剛は一から勉強ね」って。いつ勉強が終わって旅立てるのかなって思うんだけど(笑)」

香取「今、趣味も仕事も、いろんなことをしていてどれも楽しいし、ほんといろんなことに興味があるんですよね。そのパワーの源はというと、「明日を怖がらない」こと。明日ちょっと緊張するお仕事があっても怖がらない。悩みがあると、明日になるのがイヤだったりするけど、そんな悩みもなくす!」

グループでの仕事と同時に、個人の仕事も増えていった頃。年齢を重ねたりグループを離れて一人で経験を積んだり、成長していく中でグループの雰囲気にも変化が生じていたよう。人間味に溢れたエピソードが並んでいるのが印象的だ。

不安があった…メンバーの結婚


2000年11月23日に木村(当時28才)が結婚を発表。ライブ後に会見を開き、一人で報道陣の前に立った木村。現役アイドルの結婚という、前例のない道をすすむことになったSMAP。
当時を振り返って中居は、
「5人一緒にいろいろ学んできたわけじゃないですか。SMAPを10年以上やってきて。いろんなことの乗り越え方も。でも今回のことに関しては、誰の教科書にも載ってないことだったんで。やっぱり不安があったし、もちろんうれしさもあってけど。でも、これでまた新しい項目が教科書に載ったんで。今度、なんかあっても大丈夫かなって」
(JUNON/2001年2月号)

「すごいいい年だった」と2000年を振り返った木村。ツアー中は複雑な気持ちを抱えていたことを明かしたが「やっててよかった」と答えている。
「公になって、いろいろあったけど。なんて言うのかなこの世界にいるからこそ言われちゃうような、思われちゃうようなことも、なんかSMAPでいた自分? SMAPの中にいる自分っていうのがあるから、自分の中ではすごく助かったし。横にメンバーがいてくれたりとか。…そう思ったね。」

会見に臨む木村。その裏では中居と3人が会見が終わるのを待ちながら焼き肉に行くを計画を立てていた。

「メンバーの結婚は初めてのことだし、4人で“木村くん、誘ってご飯に行こう”と盛り上がってたんですよ。“でも、肝心の木村くんがノーって断ったらどうする”なんて冗談いいながらね(笑い)。結局、会見のあった夜は、メンバーで六本木の焼肉屋さんに行ったんです。で、会計のときになって“いいよ、ここオレが出すから”ってかっこよくカードを出したらこれが期限切れ。財布には1万ちょっとしかはいってなくて、マネジャーに借りて支払いました(笑い)」
(女性セブン/2001年8月9日号)
中居くんらしいオチがあり、グループの雰囲気が伝わるエピソードだった。

お祝いの言葉をかけた?という質問に、
稲垣「個人的になんとかっていうのはちょっとテレくさいしさ。それは気持ちで伝わると思うから、以心伝心で」
草なぎ「ちょっと言ったよ。なんて言ったかはナイショだけど」
(JUNON/2001年2月号)

2000年は、「慎吾ママ」が流行語大賞に輝いた年でもあった。他にも挨拶推進運動で文部省から、また有線のリクエストなど数々の賞を受賞している。さらに翌年には『慎吾ママドラマスペシャル おっはーは世界を救う』が放送と、慎吾ママブレイクの年でもあった。

2001年のはじめ、ロングインタビューの中で中居は、ドラマの話やグループの今後とまんべんなく語ったあとに、再びライブに話を戻していた。

「僕らはいつでもSMAPだし、デビューした時だって、今だって、“SMAPのライヴをやっている”ことに変わりはないんです。でももしかすると、だんだん年齢もとってきてるし、なんかSMAPが遠くに行ってしまうような、距離みたいなものをお客さんが感じることがあるかもしれない。だから今年は特に、なるべくみんなにはそんなことを感じさせないように、“SMAPはここにいるんだよ”というのをライヴで強くアピールしたかったというのはありましたね」
(ポポロ/2001年2月)

ライブの最後に中居が叫ぶ「また来年、会おうぜ」には、深い意味と想いが込められていた。
(柚月裕実)