9月1日深夜に放送された「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系)に批判が集中している。テーマは「ロリコン&暴力 アニメに規制は必要か?」
アニメの中のロリコン描写や暴力描写を取り上げ、犯罪につながるのではないか、規制は必要ではないかと議論した。
規制賛成派として、土屋正忠・平林都・大竹まこと・出口保行が出演。規制反対派には江川達也・犬山紙子・岡田斗司夫・ミッツ・マングローブが並んだ。

規制賛成派と規制反対派、そしてアニメオタク3人を交えての討論は、最後まで実のあるものにはならなかった。両者とも相手の話をさえぎり、単発的な反論や感情的な反駁がみられ、テレビ的に都合のいい〈ちょっと面白くて過激な発言〉でトピックが強制的にまとめられる。
まあ、それは悲しいですが日本の議論番組ではよくあること。
もともと「TVタックル」は取り上げたテーマに対して建設的な意見を作り上げる番組ではなく、テーマをめぐってみんながワイワイ言い合うのを楽しむ番組だ。

さて、前半部分は規制賛成派寄り、後半部分は規制反対派寄りの結論になっていたように思えるが、賛成派の意見に対する反発は非常に大きかった。9月3日には「TVタックル」スタッフに殺人予告まで出てしまった。
確かに、規制賛成派の意見は、アニメ好きからすると猛反対を唱えたくなるようなものばかりであるし、「偏見だ!」と言ってしまいたくもなる。けれども逆に、「オタクはこういう風に見られているんだ」という鏡にもなる。特に目立った3人の意見から、オタクに偏見のある人の代表的な反応を紹介したい。


(※ちなみに、「オタク」には広い意味がある。本記事では「アニメ・漫画好きの(男性)オタク」的意味で用いる。今回の番組では、女オタクや他の傾向を持つ男性オタクについてはほとんど触れられていなかったことを注記しておく)


■「ロリコン」「俺の嫁」オタクワードに困惑

一応司会者の1人という立場ではあるものの、阿川佐和子はどちらかといえば規制賛成派寄りの意見を発していた(代わりにビートたけしは規制反対派寄りだった)。阿川の表情や言葉は、彼女の世代の感覚をかなり反映している。

たとえば、ミッツがオタク3人に「あなたたちはロリータの趣味がある?」と聞くシーン。「あります!」と即答する20代男性に、阿川は目を見開いている。
考えてみたら当たり前だ。
確かにインターネット上では、「ロリコン」という言葉が気軽に使われている。でも、実際は市民権を得ているものではなく、彼らはできるなら「幼い美少女二次元キャラクターは好きだけど、現実の幼女に対する感情はまた違ったものである」と言うべきだった。

途中からは「俺の嫁」という言葉が頻出する。それは「今いちばん好きな女性キャラ」という意味合いが非常に強いオタクワードだ。ネット上では広く受け入れられているが、知らない人にとっては衝撃的だろう。

日本において、成人男性が、現実の10歳の女の子を「嫁」と称していたら、すさまじい違和感があるはずだ。「二次元と三次元は違う」という考え方がない人たちと接しているのだから、その辺りは考慮してしかるべきだった。

オタクの世界は過激な発言がもてはやされやすい。特にインターネットは「自分がいかにヘンタイか」を競うチキンレース状態にある。そのノリに馴染みのない人たちの前で同じことをやっていたら、「オタクはヘンタイ」と思われてしまっても仕方がない。


■「幼く、女の子みたいで、恋愛できないオタク」

阿川はオタク3人の休日のVTRを見て、「女の子の遊びみたい」と呟く。
「中学になったらマンガから卒業しましょう。高校になったら恋愛をして、それが大人になるステップ」を辿ってきた阿川にとって、アニメや漫画は「子どもっぽいもの」であり、「本来なら卒業しておかなければいけないもの」である。
企業から内定が出たオタクに対して「社会に出ることへの不安はない?」と尋ねるのも、通過儀礼を経ていないように見えるオタクに疑問が残るのだろう。

阿川と同じ感覚を持っているのが平林都だ。
「艦隊これくしょん」の比叡についてアツく語り始めるオタクに対して、平林は「そんなヒマがあったら勉強しろ!」と叫ぶ(その返答は「僕は日本史センター試験98点ですよ!」)。これは、オタク=漫画やアニメを卒業できていない=勉強や本を読む行為に向かっていない、という連想から出た発言ではないだろうか。


そして、話は「オタクの恋愛」に至る。彼女たちの目からはオタクは「幼稚で未熟な存在」として見えているし、低年齢の美少女を好きになる理由を「(自身が子供だから)成熟した女が怖い」とする。これに対して、規制反対派も、3人のオタクたちも、大きく否定はしない。
こうなってしまうと、もう構図が出来上がってしまう。「女に相手にされない」から「二次元に走る」。「二次元でも大人のキャラクターは怖い」から「幼いキャラクターを好きになる」。その嗜好は現実にも向かっていく、という考えに至るのは容易だ。

今回登場したオタクの中にも既婚者(バツイチ)はいた。もちろんオタクは恋愛下手が多いかもしれないが、オタク同士で付き合うケースは腐るほど見てきた。それを強調する声がなかったことは、偏見を強める方向に結果として向かってしまった。
(……そもそも、「恋愛すれば大人」という恋愛至上主義にはちょっと辟易するが、それを言い出すと話が逸れるのでこの辺で)


■「オタクは性犯罪者」

今回一番批判が集中したのは、自民党議員の土屋正忠の意見。土屋は児童ポルノ法を推進していて、アニメ規制を積極的に推し進めたい立場にある。

土屋は、「オタクが実際に犯罪を犯した例がある」と言って、2011年の熊本女児殺人事件を挙げた。
「犯人の部屋には(女児を暴行するような)漫画がたくさんあった」
犬山が反論する。「アニメがあったから犯罪を犯すのではない。私も男子高校生の出てくるアニメを見るが、関係を持ちたいとは思わない」。それに対して土屋は「それはあなたの問題」と言って、話を社会的に必要かどうかに切り替えた(それを言ってしまえば、アニメで犯罪を犯す人も『その人の問題』になるので、隙の多すぎる発言ではある)。

岡田から「アニメは性犯罪の抑止力になっている」「性犯罪とアニメの過激さに相関関係がないというのはいろんな社会学的な統計で指摘されているじゃないか」と言われても、土屋は「やってんだよ!」と返す。具体的に数字を出すことはできず、「現場の実感」と漏らす。

土屋の反応は非常に象徴的だ。実際、「オタクがロリコン犯罪を犯す」という調査結果や、「性犯罪とアニメ」に相関関係があるという統計はない。それでも、「ない」という意見を信用することはできないのだ。なぜなら、「よく報道でも聞く」し、「実感としてある」のだから。

これを否定するには、とにかく数字を地道に積み上げていくしかない。
性犯罪者の趣味や嗜好について調査が行われることは難しそう(そもそも「オタク」の定義が広すぎる!)。ならば、海外での規制と犯罪数のグラフや、日本のアニメの本数と性犯罪発生件数のグラフなどを何度でも提示していくことが必要。児童への性的犯罪はその8割以上が家族間・知人間で起こっているなどのデータも有効かもしれない。
「感覚」「印象」は非常に強く、それでいて変えるのが困難。「勉強不足」と相手を煽っているだけでは何も変わらない。


今回の「TVタックル」は、規制賛成派の「代表的な偏見」に対して、規制反対派もオタクも、そして視聴者も、適切に対応することができていなかった。殺人予告なんて考えられる中でも最悪の対応だ。
オタクはこれまで「日陰の存在」だった。けれど今は、経済的にも規模的にも、多数派になりつつあるのは間違いない。「日向」に出たときの振る舞い方を、今のオタクはあまりにも知らない。
(青柳美帆子)