日本が第2次世界大戦に敗れた日から71年。
この夏、アインシュタイン+フロイト『ひとはなぜ戦争をするのか』(浅見昇吾訳)が文庫になった(講談社学術文庫Kindle)。

アインシュタインとフロイトの手紙『ひとはなぜ戦争をするのか』を読み解く

このわずか100ページほどの小冊子を、敗戦の日を前に読んでみた。

アインシュタインがフロイトに書いた手紙


1932年、物理学者アインシュタインは、国際連盟の国際知的協力機関から依頼されて、
〈だれでも好きな方を選び、いまの文明で最も大切と思える問いについて意見を交換〉
することになった。

アインシュタインの選んだテーマは、
〈人間を戦争というくびきから解き放つことができるのか?〉
というものだった。

アインシュタインは、第1次世界大戦(1914-1918)中から戦争に反対する発言をしていたし、またそもそも国際連盟という機関が、第1次世界大戦後に発足した国際平和機構だ。
だから、国際連盟がこの企画にアインシュタインを選んだということ自体、意見交換の主題が戦争と平和になるということは間違いないことだったのではないか。

アインシュタインが問を投げかける相手として選んだのは、精神分析の創始者・フロイトだった。
宇宙観に大きな発展をもたらした知性が、人間観に大きな変革をもたらした知性に、戦争について質問を投げかけたのだった。


いまだに平和が訪れていません


アインシュタインの公開書簡(1932年7月30日、ポツダム近郊カプート発)は、フロイトにこう語りかける。

〈真摯な努力にもかかわらず、いまだに平和が訪れていません。とすれば、こう考えざるを得ません。
 人間の心自体に問題があるのだ。人間の心のなかに、平和の努力に抗う種々の力が働いているのだ〉

〈あなたの最新の知見に照らして、世界の平和という問題に、あらためて集中的に取り組んでいただければ、これほど有り難いことはありません〉

知性は欲動をコントロールできるか?


1932年9月、フロイトはウィーンから、この手紙に長い返事を書いた。
この返信のほうは、『人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス』(中山元訳、光文社古典新訳文庫Kindle)にも収録されている。
アインシュタインとフロイトの手紙『ひとはなぜ戦争をするのか』を読み解く

ここでフロイトは、人間には〈破壊し殺害しようとする欲動〉がある、と述べている。

第1次世界大戦終結の2年後、国際連盟が設立された1920年に、フロイトは「快感原則の彼岸」(中山元訳、竹田青嗣編『自我論集』所収、ちくま学芸文庫)で、反復強迫(トラウマ的な体験を,意識せぬまま行動で反復する現象)の背後に、〈死の欲動〉(タナトス)が存在すると考えていた。

アインシュタインとフロイトの手紙『ひとはなぜ戦争をするのか』を読み解く

その考えを、12年後のこの書簡でアインシュタインに向けて説明している。

フロイトは〈死の欲動〉を、人間ならだれでも持っているものと考えていた。
この発想は、「快感原則の彼岸」から100年経った現在では、治療の現場でそのまま応用されることはないらしいが、20世紀中盤から後半にかけての思想シーンには、多大な影響を与えた。

では、この〈破壊し殺害しようとする欲動〉に、どのように対処すればよいのか。
フロイトは、書簡の末尾で、

〈文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!〉

と力強く言い切っている。

〈力が増した知性は欲動をコントロールしはじめます〉
というフロイトの説明は、一見あまりに楽観的に見える。


けれど、ここで言う〈知性〉が、他者や世界をコントロールしようとするばかりの操作的な「知」ではなく、自我・意識の外側にある「未知の自分」を知ろうとする「智慧」であるというふうに解釈するならば、むしろそこにしか人間の生きる道はないとすら見えてくるではないか。

「自我の与り知らない自分」に振り回される(=自分のことがわかっていない)とき、人は他者を攻撃するのだから。

翌年、ナチスが第1党に


巻末で、解剖学者・養老孟司と精神科医・斎藤環、それぞれの解説がついていて、いずれも、「国家どうし」がする「戦争」の時代から「個人」がする「テロ」の時代に変わってしまった現在の視点で、この往復書簡を位置づけている。

この往復書簡の翌年(1933年)、ドイツでヒトラー内閣が発足し、ユダヤ人だったアインシュタインは米国に亡命した。
5年後の1938年にナチス・ドイツはオーストリアを併合し、同じくユダヤ人だったフロイトもロンドンに亡命した。
翌1939年9月に第2次世界大戦が勃発し、その20日後にフロイトはこの世を去った。


本書は、ナチスが第1党になる前の年に、20世紀初頭を代表する知性が戦争どのように考えていたかを伝えてくれる。
ジョルジュ・バタイユが第2次世界大戦直後に書いた『呪われた部分 有用性の限界』(1949→中山元訳、ちくま学芸文庫)を併せて読んでみるのもいい。
アインシュタインとフロイトの手紙『ひとはなぜ戦争をするのか』を読み解く

(千野帽子)