この本は音楽について書かれた本ではない!

えーと、ちょっと言い直しておきましょうか。

この本は、ハマクラ先生こと、日本を代表する作曲家の浜口庫之助が、生涯で唯一出版した本(の文庫化)である。
ハマクラは生前から自分の音楽に対する考え方をメモとして書き残していた。それはノート12冊分にものぼり、また、様々な媒体で受けたインタビューもある。それらをまとめたのが本書『ハマクラの音楽いろいろ』だ。しばらく絶版だったものが、この度、文庫となった。
おなかがすいているのではない。頭がすいているのだ『ハマクラの音楽いろいろ』復刊
『ハマクラの音楽いろいろ』浜口庫之助/立東舎文庫

全4章の内訳は「音楽と人生」「ヒット曲の周辺」「音楽の秘密」「人生いろいろ」で、ハマクラ自身がどのようにして音楽と出会い、音楽に取り組み、音楽と共に生きてきたかを綴っている。だったら「音楽について書かれた本」じゃないか! と思われるだろうが、話はそう単純じゃない。


ハマクラは、終戦後の1946年にジャワ島から引き揚げてきてバンド活動を始めた。ギタリストとして日本中を巡業して回ったのち、マンボグループ「アフロクバーノ」を結成して、紅白歌合戦には三年連続で出場した。

1957年に作曲家へ転身してからは、『黄色いさくらんぼ』(作曲)、『僕は泣いちっち』(作詞・作曲)などを手がけた。なかでも安保闘争のあった1960年の『有難や節』(作詞)は、社会風刺を歌に込めたものとして大流行した。以後、『涙くんさよなら』『夜霧よ今夜も有難う』『空に太陽がある限り』など、数多くの流行歌を生み出している。最後の大ヒットとなったのは1987年の『人生いろいろ』(作曲)だった。


つまり、終戦後から昭和の終わりにかけて、常に人々の生活に寄り添う歌を作ってきたのがハマクラ──浜口庫之助だったのだと言える。だから、この本をただ単に音楽について書かれたものとして読んだのでは、もったいないと思うのだ。

「すばらしい夕日を見る。美しいバラを見る。子どもが頑張っている。人々が悲しみや苦しみに耐えて頑張っている。
何でもいい。僕の周辺で僕を感激させるものに出会ったとき、僕は歌を産む」(P.52より)

「人間の営み」と「歌」は、切り離すことができない。

浜口は、先妻を病気で亡くしたあと、女優の渚まゆみと再婚している。二人の間には娘ができた。名前をあんずという。あんずちゃんは、絵本に夢中になると、周りの声が耳に入らなくなる。
お母さんが食事だよと呼びかけても返事すらしない。母はしょんぼりと引き返してくる。

それに対して、浜口はこのように言う。

「違うんだなあ。そんなときは放っておけばいい。子どもが絵本に夢中なときというのは、おなかがすいているのではない。
頭がすいているのだ。もし、おなかがすいているとしても、それを忘れるほど頭がすいていて、何かおいしいお話や絵を、頭にすぐ詰め込まなければ、いてもたってもいられない状態なのだ」(P.112より)

あるいは「ママあ、ママあ」と言って、台所にも買い物にも、ときにはトイレにもついてくることがある。こんなときは「おなかよりも心がすいている」と言う。だから、まとわりつく子どもにイライラした表情を見せてはいけない。そのかわり、やってきた子どもを「ぎゅっと抱き締めてやるべきなのだ」とも。

この「お腹がへった」「頭がへった」「心がへった」という、人間に訪れる3つの状態を題材にして、ハマクラは『あんずちゃん』という歌を作った。
この歌はハマクラの死後、渚まゆみ(浜口眞弓)によってレコーディングされている。
(とみさわ昭仁)