6月24日、「東京カルチャーカルチャー」(東京都江東区)にて「前田日明の水曜会」なるイベントが行われています。
「アリの弟子にしてあげる」という口車に乗り、新日本プロレスへ入門した若き日の前田日明

前田日明の半生を描いた書籍『格闘者』出版を記念しての開催となったこの日、前田の他には同書を執筆した塩澤幸登氏と、プロレス・格闘技を中心に扱う「KAMINOGE」井上崇宏編集長も登壇してくれる模様。

トークライブが始まる前には前田&塩澤氏による記者会見が行われているので、まずはそちらのやり取りからどうぞ。
「アリの弟子にしてあげる」という口車に乗り、新日本プロレスへ入門した若き日の前田日明

塩澤 僕はほとんどプロレスラーという人たちを知らないんですけど、どういうわけか前田さんとだけは古くから知り合っていて。『U.W.F.戦史』という本がきっかけだったんですが、ちゃんとした前田さんの本を書きたいと思っていました。それで去年お話したら、OKをいただきまして。お話を伺うと、今までのどの本を読んでも書いてなかったことまで話してもらえた。僕は何でも3冊にするクセがあるんですが、「これはまた一冊じゃ収まらないな」と(笑)。「新日本プロレスに入り、ロンドンから帰ってくるまで」、「UWFが終わって一人でリングスを立ち上げるまで」、「リングスで選手生命を終わらせ、人生の余生のようなものを決めていくまで」、この3冊に分けるつもりで一冊目を書いたところです。自分はこれをプロレスの本だとは思っていなくて、「昭和に生まれた一人の人間が時代の中で必死に生きた」ということを表現できれば……と、書かせてもらいました。
前田 何より息子ができて、彼が30歳になった時に自分は78歳。それまでに元気でいられるか考えたら、あまり自信が無いんですね。あと主義として、自分はアルバムを作っていないんです。今回、親父の持ち物から出てきた写真をいっぱい載せていますが、写真のアルバム代わりに文章で自分の親父がどういう人だったか残してやりたいと思いまして。
――塩澤さんは「プロレスラーをほとんど知らない」とのことですが、他の選手と前田さんの違いとは何だったのでしょうか?
塩澤 皆さんご存知だと思うんだけど、プロレスって基本的には興行で、「どれだけたくさんのお金が集まるか」がかなり重要な要素です。そのために色々な物語や闘いのテーマを設定し、できるだけたくさんの人たちに来てもらう。そして、入場料を払ってもらう。でも、前田さんの言ったりやったりしてることを見てると「そういうことよりもっと重要な事があるんじゃないか?」「本当に大事なものは何なんだ?」という問いかけが、他の人と違いひしひしと伝わってきます。「この人は全然違う闘いの論理の中で生きている」と思えたことこそが、この本を書く最も大きな原因でした。
――前田さん、出来上がった本を読んで「塩澤さんに書いてもらって良かった」と思えましたでしょうか?
前田 この本を書くためのインタビューって、そんなに長く時間をかけなかったんですね。「それでどうやって書くんだろう?」と思ってて。で、塩澤さんが色々調べて書いた文章を読むと、自分の生きた時代背景、自分が無意識にしてたこと、感じてたことがわかり、面白かったですね。


前田の同書に関する感想を踏まえたこの状況で、いよいよ本編であるトークライブに突入! 仕切り役は「東京カルチャーカルチャー」イベントプロデューサーのテリー植田氏です。

――KAMINOGE井上さん、前田さんとはお付き合いは結構長いんでしたっけ?
井上 そんなでもないですけど、はい。さほどでございます(笑)。
(前田&井上 見つめ合って笑う)
「アリの弟子にしてあげる」という口車に乗り、新日本プロレスへ入門した若き日の前田日明

――この会では、前田さんの色んな側面を小出しにしていきたいと思っているんですが……。
井上 最近のKAMINOGEは「格闘者」ではなく、前田日明の“異常性欲者”としての側面を露わにしていきたいなと。
――いきなり、下ネタから行きますか。どう、異常なんでしょうか?
井上 今でも、一日にオナニーを必ず3回やるという。
――そんなダイレクトな話を……。それは、前田さん本当なんですか?
前田 いや、ウチの若い奴(アウトサイダー出場選手)に「お前、毎日オナニー10回しなきゃいけないんだよ」って言ってて。
井上 ……前田さん、もしかして今日照れてるんですか?
前田 アッハッハ!
――前田さん、今日「アブサン」(リキュール)用意してますから、スイッチ入ったらいつでも言ってください。で、本(『格闘者』)についてを伺いたいんですが、大阪のストリートファイトの話から始まり……。結構、ヤバイ時期の頃の話ですが。
前田 俺が高校生の頃の大阪は、抗争に次ぐ抗争で。
――ホンモノの方の?
前田 ホンモノ、ヤーさんの。大きな抗争があり、その下っ端の組の抗争もあって、メチャメチャその頃の大阪はヤバかったですよ。
――なんでわざわざそんな時期に、ストリートファイトをやるんですか。
前田 いや、その頃、たまたま空手の初段取っちゃったんだよ(笑)。そして道場の先輩に呼ばれて「前田、おまえ初段取ったらしいな」、「先輩のおかげです、ありがとうございます」、「お前、空手の初段ってどういう意味かわかるか? 車の免許で言ったら、仮免や。仮免って何があるか知ってるか?」、「いえ、わかりません!」、「仮免言うのはな、路上教習があんねん」。
――それ、“ストリート”じゃないですか(笑)。
前田 それで「夜中に電話するから、呼んだら来いよ」って言われて、行って。で、「あそこにいるアイツ、しばいて来い」って言われて、ボコーンって。
――それ、心斎橋とかですか?
前田 心斎橋とか宗右衛門町とか。
――一番の繁華街じゃないですか……。
前田 宗右衛門町に半地下の駐車場があるんですよ。そこで「陳家太極拳vs無想館拳心道(前田が所属する流派)」って他の奴と闘わされて、髪の毛掴んでヒザ入れたりして。
――それ、何歳の時ですか?
前田 高校2年生の夏。陳家太極拳の奴が「髪の毛掴むの、反則やろ!」って言ってきたから「反則なんかあるかぁ」ってバーンって。
――そして、そこから佐山さんと出会って。
前田 その頃、田中正悟が俺の(空手の)先輩でいて。たまたま田中正悟が公園で練習してたら佐山さんもそこにいて「それはキックですか、空手ですか?」って聞いてきて。それをきっかけに(佐山も)一緒に道場で練習したんだけど、「前田、お前相手やれ」ってことで。それで一週間、ウチの道場で練習しましたね。
――それが、佐山さんとの最初ですか。『格闘者』を読むと「こんなにプロレスラーって小さいんだ」と思ったっていう。
前田 そうですね。身長は小さかったですけど、サイコロみたいに横幅がありましたし。
――実際に稽古したら、どうでした?
前田 やっぱりもう組んだらね、投げ捨てるように“ポーン”って投げられて。どうしようもなかったですね。「力は凄いなぁ」と思ってね。
――そこから、猪木さんが?
前田 それからしばらくして、当時、佐山さんが猪木さんの付き人やってたんで「練習した17歳の子がいる」って伝えてたみたいで。そんで何ヶ月か経ち、「新間寿さんっていう猪木さんのマネージャーやってた人が『会いたい』って言ってるから、会いに行こう」って田中正悟と会いに行ったんです。
――その時は「モハメッド・アリの弟子になれる」という話で、弟子になりたい一心で行ったということですが。
前田 「プロレスラーにならないか?」と言われたんだけど、「もう、とんでもない!」。自分らの世代のプロレスラーって、フリッツ・フォン・エリックとかサンマルチノとか豊登だとか、ああいうイメージ。生まれながらに怪童とか神童と言われる人の集まりだと思ってました。
「アリの弟子にしてあげる」という口車に乗り、新日本プロレスへ入門した若き日の前田日明

――「プロレスラーはとんでもない、なれない」という感じだったんですか?
前田 「プロレスラーは凄い体して……」と思ってたので「ちょっと自分は無理です」。で、たまたまその頃、日本人初のヘビー級ボクサー(コング斉藤のこと)の試合がテレビで流れて。それがしょっぱい試合で、くっさい試合で、「ちょっと真剣にボクシングやったら、俺でもこいつに勝てるやろ?」と思ってたところに、新間さんが「君はモハメッド・アリが好きか? ヘビー級ボクサーになる気はないか?」って言うから「ヘビー級ボクサーだったら考えてもいいです」、「じゃあ、モハメッド・アリの弟子にしてやろう。ただ君はまだ体ができてないんで、ウチで1~2年間体を大きくしてアリの弟子になったらいい」って。
――それは、アリと猪木さんが闘った翌年くらいですよね。
前田 その時、新間さんに「新日本プロレスに1~2年食べさせてもらって、トレーニングさせてもらって、どうやってお返しすればいいんですか?」と聞いたら「ちょっとだけ試合してくれればいいから」って。「ちょっとだけ試合すればいい」っていうのは、自分の中では「アリのところに行き、日本人ヘビー級ボクサーとしてデビューし、凱旋帰国してボクサーとして試合したらいいのかな」と思ってたんですよ。
井上 「ボクサーにしてやる」って言われても、ブリッジやらされた時点で気付くべきですよね。
前田 フハハハハ!
「アリの弟子にしてあげる」という口車に乗り、新日本プロレスへ入門した若き日の前田日明

井上 それは、どのくらいまで信じてたんですか?
前田 デビューして一年経ったくらいまで信じてたよね。その辺りで、新間さんに「アリの道場って、いつ行くんですか?」って聞いたら「お前、真剣に言ってんの?」、「えっ、本当じゃないんですか?」、「バカか、お前は!」って(笑)。
――塩澤さん、その話は本の中にも出てきて、それが何かしらのくすぶりになったというニュアンスでしたが。
塩澤 ハッキリした証拠は無いんだけど、新日本プロレスに入った時の前田さんはかなり嘱望されたというかね。「将来、この人が新日本プロレスを背負って立つ」って猪木も新間さんも思ったんじゃないかと思うんですね。デビューのさせ方とか巡業のこととかが猪木さんと新間さんの間で話し合われ、「新日本プロレスの次の世代は前田日明に背負ってほしい」という意向は共通したコンセンサスで存在していたと思うんですよ。
「アリの弟子にしてあげる」という口車に乗り、新日本プロレスへ入門した若き日の前田日明

――前田さん、それはご自身では気付かれていたんですか?
前田 いや、全然わかんないですね。モハメッド・アリのところに行けないって聞いてから、どうしようかなと思っていました。「大阪に帰っても土方やるしかないし……」って時にゴッチさんと出会い「色んなこと教えてもらうまで頑張ろう」という感じでした、自分の中では。
(寺西ジャジューカ)
(PART2へ続く)