坂口恭平って人がいる。
なんでも、自分で勝手に立ち上げた「新政府」の総理大臣らしい。


『モバイルハウス 三万円で家をつくる』は、坂口恭平が建国した新政府プロジェクトの前日譚であり、「家」に関する思想書でもある。

坂口さんのモバイルハウスという試みは、実に素朴な疑問から始まる。
「なぜ、人間の生活に欠かせないはずの『家』を手に入れることが、こんなにも困難なのか」

家は、多くの人にとって人生で最も高額な買い物だ。ローンを組めば、そのために何十年間も働くことになるし、賃貸でいたとしても住み続ければ何千万の支出になる。
みんなが受け入れている、ごく普通のことだ。でも、坂口さんはそこから疑ってみる。

憲法によって、国民には「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保障されているはずなのに、実際は、家を持てる人と持てない人がいる。さらに家賃が払えない人は路上生活者になってしまう。それは、普通に考えたらおかしいことだ、と坂口さんは思った。

ある日、ホームレスの家を調査していた坂口さんは、隅田川で、鈴木さんという路上生活者に出会う。彼の住む家は総工費0の「0円ハウス」だった。ブルーシートや廃材、曲がった釘など、僕たちが「ゴミ」と見なしているものを使ってつくられた家。


行政に追い出されたら、リアカーに家を載せて生活したい、と鈴木さんは言った。坂口さんは閃いた。地面に固定されていない「家」ならば土地を買う必要はない。不動産ではなく「可動産」。車輪の付いた建物は家ではなく車両扱いだ。しかも、10平方メートル以内の建築物であれば申請する必要がない。


坂口さんは「移動できる家」をつくることにした。多摩川の河川敷。20年ものあいだ自給自足生活をしているおじさんの助けを借りた。その模様は、ドキュメンタリー映画『モバイルハウスのつくりかた』で映像として見ることができる。

板や車輪、釘、金具などの材料はホームセンターで買った。購入金額は2万6千円。
端材でデスクができた。折りたたみ式のベッドも手作りだ。ビニールシートや廃棄されていたガラスを使って、窓も2つ作った。
作業日数4日、約24時間であらかた完成。2畳間の「家」。吉祥寺の駐車場を月額2万3千円で借りた。
住所とポストがあれば、ピザも郵便物も届くことが分かった。

インフラはどうしたのだろう?
坂口さんは、調査してきた「0円ハウス」の住人たちに倣って、小型のソーラーパネルを1万円で購入。透明波板でつくった天井の下に取り付けた。自動車用のバッテリーで発電した電気を貯める。エアコンは無理だが、これでパソコンやラジオなどは可動させることができる。
洗濯はコインランドリーへ。
水道やトイレは公園のものを利用。ガスはカセットコンロを使った。
冬は天井から太陽光が射して温かいが、真夏は暑すぎて中にいられない。そんなときは思い切って、図書館やホテルのカフェに行って仕事をするんだそうだ。

これだけ見ても分かるとおり、モバイルハウスは僕たちが普段暮している家とかけ離れている。
禁欲サバイバル生活みたいな印象を持つ人も多いだろう。しかし、坂口さんはそういうことをしたいわけじゃないみたいだ。モバイルハウスは、自分とモノやお金との関係を問い直す、実験装置みたいなものらしい。
壁で仕切られた家の中だけで暮らすのでなく、都市と自分の生活をより緊密に結びつける。安くつくれることだけが利点ではない。「共有空間」の新しい捉え方が見えてくるという。

実は、モバイルハウスを吉祥寺の駐車場に移動させる前日に、東日本大震災が起こった。モバイルハウスに損傷はなかったが、福島第一原発が爆発した数週間後、坂口さんは家族で熊本県に移住することにした。
「モバイルハウスのごとく、僕の人生も移動させていかないといけないと思ったからでもある。どこにも寄生しない生き方。これがこのプロジェクトの主題だ」

熊本に戻った坂口さんは、自分の研究所を「ゼロセンター」と名付けて、避難所とした。モバイルハウスもそこの庭に移した。
そして2011年5月に「新政府」を立ち上げたのだ。

「家」と自分、「都市」と自分との関係性を問い続ける坂口さんは、誰も実行に移そうと思わなかった方法で「国家」と自分との関係を見つめ直した。
それは、ちょっと僕のような「普通の人」にはできる気がしないような、ぶっ飛んだやり方だ。

『独立国家のつくりかた』の92頁。電話番号が載っている。
僕は、なんとなく電話をかけてみた。
3コールくらいで電話にでた。坂口恭平本人だった。
「普通の人は、坂口さんみたいに、常識から外れたことはできないと思う。そういうふうに言われたら、なんて答えているんですか」と、僕はテンパリながら、率直に訊いた。
「自分の疑問を持ったほうがいい。他人の疑問を想像しないほうがいい。人はそんなふうに単純じゃないから。基本的に俺は、人の疑問に答えない。疑問は自分で考える。そんなもん、人に聞いてもしょうがないでしょ。自分で考えないと」
俺が言えるのはそれだけだ、と坂口さんは言った。

坂口さんの本は、目から鱗の部分と、極論すぎて納得いかない部分が同居している。敢えて言うけど、坂口さんは「独立国家のつくりかた」も「モバイルハウスのつくりかた」も教えてくれない。
「坂口恭平のつかいかた」。それはやっぱり、自分自身で考えてみるしかない。
(HK 吉岡命・遠藤譲)