みんなは「ファミマガ」を覚えているだろうか?
ファミリーコンピュータMagazine、通称「ファミマガ」は、1985年から1996年にかけ、徳間書店から発売されていた、日本初のファミリーコンピュータ専門誌。当時「ゲーム専門誌」としては、日本ソフトバンクの「Beep」がすでにあったけれど、ファミコンという単一のハードに焦点を当てた雑誌は正真正銘「ファミマガ」がはじめてだったのだ。


子供のころ、ぼくはこの「ファミマガ」という雑誌が大好きだった。
当時はゲーム雑誌の創刊ブームで、どの雑誌を愛読しているかによって、その人のおおよそのゲーマー的傾向がわかった。セガ派の人は「Beep」一択だったし、クラスのひょうきん者的ポジションの人は「ファミコン通信」、ちょっとスレたゲーム好きは「ファミコン必勝本」をよく読んでいた(ソースはぼくの記憶)。
その点、じゃあ「ファミマガ」読者はどんな人か? というと、わりとどんなゲームも全方位的にたしなむ「正統派ゲーマー」が多かったように思う。他誌のように名物編集者や変わった企画をプッシュしたりせず、あくまで新作紹介と攻略に徹し、ゲームそのものの魅力をフラットに伝ようとする姿勢がぼくは好きだった。全盛期には100万部を発行し(今のファミ通の約2倍!)、ファミコンブームを陰で支えた功労者でもあった。


そんな「ファミマガ」の思い出や、創刊当時の裏話を赤裸々につづった一冊が、この「超実録裏話ファミマガ -創刊26年目に明かされる制作秘話集-」である。
おおおお、「ファミマガ」制作の裏話! そんなの面白いに決まってるじゃん!!!

著者の山本直人氏は、「ファミマガ」の元・2代目編集長であり、創刊号から制作に携わっている最古参スタッフのひとり。その実体験にもとづいて書かれた50本のエピソードからは、当時の編集部のドタバタや熱気が手に取るように伝わってくる。

たとえば創刊時のエピソードでこんなものがある。「ファミマガ」の企画を任天堂に持ち込んだときのこと。任天堂の担当者から、こんなふうに念を押されたそうだ。


〈ファミコンだけの雑誌を月刊で出してしまって、のちのち大丈夫か?〉

ページをめくると創刊号の目次がそのまま載ってるんだけど、驚くなかれ、新作特集は「スパルタンX」と「スターフォース」の2タイトルである。そりゃ任天堂も心配するよ! このころはまだ「スーパーマリオブラザーズ」さえ発売されておらず、あの任天堂でさえ、ファミコンのブームなんてすぐに過ぎ去ってしまうものと思っていたのだ。

「スーパーマリオ」と言えばこんなエピソードもある。実は初期のファミコンでは、「ドンキーコング」や「ゼビウス」のようなアーケードからの移植作品ばかりが注目されがちで、オリジナル作品である「スーパーマリオ」はそれほど注目されていなかった。
これを最初に大きく取り上げたのが「ファミマガ」だった。任天堂へ取材に行き、はじめて「スーパーマリオ」に触れた山本氏は、そのときの感動をこんなふうに振り返っている。


〈まさにこの世のパラダイス。初めて見る大冒険の世界が広がっていたのであります。〉

この世のパラダイス! 一体どれだけ面白かったんだ……というツッコミはさておき、編集部へ戻った山本氏、さっそくその面白さを熱弁。するとこれを聞いた編集長、しばしの沈黙ののち、

〈じゃあ、記事ページを増やそう!〉
〈全ステージMAPをとじ込みで付けよう!〉


と大英断を下すのである。……えええっ、そんなんでいいの!?
なんともおおらかな時代だなー、というエピソードなんだけど、考えてみれば「書き手が面白いと思ったゲームを紹介する」ってごく当たり前のことなんだよなあ。
この決断はもちろん大当たりで、同年「ファミマガ」から発行された「スーパーマリオブラザーズ完全攻略本」は、なんと累計120万部以上という空前の大ベストセラーを記録。
このときは毎日のように重版の連絡が入り、ついには刷る紙が尽きてしまったという。あのころはいろいろバブリーだったのだ。

――とまあ、そんなエピソードが全部で50本。
合間合間に、当時の記事がたっぷり再掲載されているのもうれしい。インチキ写真をハイスコアコーナーに投稿してきたヤツがいて大騒ぎになった「スーパータイガー事件」とか、スーパーマリオの「ワールド9騒動」なんかは、ぼくもリアルタイムで読んでいたからよく憶えてるなあ。

この本を読んでいて、ふと、以前「シューティングゲームサイド」の編集長と話した時のことを思い出した。
「シューティングゲームサイド」では、昔のゲーム雑誌の作り方を参考にしたという。自分が読みたいと思う記事を載せる。自分が応援したいと思うゲームを取り上げる。そんな本をもういちど作りたいと語っていた。

あのときも「そうだそうだ!」とぼくは手を叩いたけれど、今はその意味がもうちょっとよくわかる。
あのころは雑誌を作ることもまたゲームだった。
ファミコンが「家庭用ゲーム」という新しい市場を開拓していく一方で、「ファミマガ」もまた「家庭用ゲーム専門誌」という、いまだ前例のない荒野を開拓しようとしていた。当時はまだゲームと雑誌が対等で、よきパートナーである一方で、同時によきライバルでもあった。

洋ゲーに押され、スマートフォンに押され、日本のゲームが売れなくなってきている今こそ、ぼくらはもう一度「ファミマガ」のココロを思い出してみる必要があるんじゃないかなあ、と、あらためてそんなことを思いました。
だって多かれ少なかれ、ぼくらはみんな「ファミマガの子ども」なんだから!
(池谷勇人)