国民的スター・植木等とその弟子・小松政夫の若き日々を描いたNHKの土曜ドラマ『植木等とのぼせもん』が最終回を迎える。

ドラマ化にあたり、小松政夫のこれまでの歩みに関心が寄せられており、ドラマの原作となった『のぼせもんやけん』『のぼせもんやけん2』(竹書房)が10年ぶりに増刷されたほか、『時代とフザケた男~エノケンからAKB48までを笑わせ続ける喜劇人』(扶桑社)、『昭和と師弟愛 植木等と歩いた43年』(KADOKAWA)が連続して刊行された。


青春小説としてさわやかな読後感を味あわせてくれる『のぼせもんやけん』、スターとの爆笑エピソードが並ぶ『時代とフザケた男』もいずれも大変面白いのだが、植木と小松のことをコンパクトに、より深く知るには『昭和と師弟愛』が良いだろう。
「植木等とのぼせもん」21日最終回!『昭和と師弟愛』読んで植木等と小松政夫、愛のエピソードに浸るべし

王や中曽根を前に「この男、今に大スターになります」


博多で生まれ、横浜での猛烈サラリーマン時代を経た松崎雅臣青年(後の小松)は、600倍の難関をくぐり抜け、植木等の運転手兼付き人として雇われることになる。“無責任男”ならぬ、弟子想いの常識人だった植木の姿については、ドラマで描かれていたとおり。本書にも、なんとかして植木を喜ばせたいと懸命に尽くす小松と、弟子を温かく見守る植木についてのエピソードが随所に登場する。

植木の小松に対する愛情と気配りのエピソードは枚挙に暇がない。小松が役者になりたいことを知った植木は、ことあるごとに自分の弟子をあちこちで紹介するようになる。植木の快気祝いのゴルフコンペが行われた際は、王貞治、中曽根康弘ら政界、財界、芸能界の超一流のゲストを前に、「この男、今に大スターになります。
みなさん、よろしくお見知りおきください」と紹介した。まだ小松政夫という芸名もなかった頃で、小松は震えるばかりだったという。そりゃそうだ。

昭和の大スター、鶴田浩二がテレビ局ですれ違ったときは、鶴田が小松にいきなり「君が小松くんだね」と声をかけてきた。驚いた小松だったが、実は植木が鶴田に小1時間も「うちの小松が、うちの小松が」と話し続けていたのだ。

ゴルフの帰り道、蕎麦屋に入っても遠慮してかけ蕎麦しか注文しない弟子を尻目にカツ丼と天丼を注文した植木は、丼がやってきても手をつけず、「そういや、俺、薬飲んでないから胃が重くて食えねえんだ。
悪いが、お前がくってくれ」と言い、押しつけがましくならないよう小松に腹いっぱい食べさせたこともあった。小松は涙をこらえて丼をかきこんだという。

弟子が懸命に尽くすから、植木も愛情で応えていたのだろう。まさに「師弟愛」だ。出色なのは植木のギャグ「お呼びでない?」についてのエピソードなのだが、それは読んでのお楽しみ。

昭和そのものだった植木等の人生


植木のはからいで独立した小松は、淀川長治のモノマネなどを編み出して、コメディアンとして躍進していく。
特に人気を博したのは、伊東四朗とのコンビ芸だ。

『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』での「電線音頭」は社会現象とも言える爆発的な人気となった。小松与太八左衛門(小松)がベンジャミン伊東(伊東)を呼び込み、デンセンマンとともにコタツの上で踊り狂うというものだ。小松は「ベンジャミン伊東になったときの、伊東四朗は目つきまでイッてました」と振り返っているが、映像で確認してみたら小松の目つきも相当キマっていた。

小松が「小松の親分さん」などのギャグで人気を博していくと同時に、師匠である植木の仕事は徐々に減っていく。1970年代はクレイジーキャッツに代わって、ザ・ドリフターズやコント55号が人気者になった。


クレイジーキャッツと植木等が人気絶頂の頃は、まさに高度経済成長の真っ只中。小松は植木の活躍を次のように表現している。「戦後の焼け跡から立ち上がり、懸命に働き、高度経済成長に向けて突っ走って行こうとする日本人を、真っ青な空に輝く太陽のごとき底抜けの明るさで照らした男。それが植木等でした」。

植木が生まれたのは大正天皇崩御の日。昭和が始まるとともに人生を歩みはじめ、ギンギンの30代の頃に日本もギンギンに輝いていた。
しかし、高度経済成長が終わりを告げ、学生運動が盛んになり、公害問題が騒がれるようになると、クレイジーキャッツと植木の出番は極端に減っていった。書名に「昭和」と謳われているが、これは植木と小松の師弟愛が昭和ならではのものだという意味であるのと同時に、植木の歩みそのものが昭和を体現しているという意味でもあるのだろう。

ただし、時代が平成になると植木は「スーダラ伝説」を引っさげて日本中に大ブームを巻き起こす。人生は何が起こるかわからない。

表紙にはちょっと照れくさそうな笑顔の小松と、小松に視線を送りながら慈愛のこもった笑みを浮かべる植木の写真が使われているが、これは小松の結婚披露宴の写真である。植木が媒酌人を引き受けたのは、生涯この一回きりだったという。


(大山くまお)