がんの闘病記ということで正直ちょっと身構えていた。
『さよならタマちゃん』は、イブニングでの連載中にじわじわと人気を集め、最終回で雑誌の読者アンケート1位になった話題作だ。


ベテランのマンガ家アシスタント・武田一義35歳。睾丸がんという精巣腫瘍が見つかり、がんの切除手術を受けることに(『さよならタマちゃん』ってつまりそういうこと)。同時に肺への転移も発覚し、抗がん剤治療のため入院する。

睾丸がん(精巣がん)は20〜30代の男性に多いがんだ。その世代の悪性腫瘍では最も多いが、罹患率は10万人に1人程度。そのため同じ病室の先輩たち(おじさん)は武田の病気に興味津々。

「ほぉー睾丸の癌」
「睾丸癌だな」
「こーがんがん!」
「こーがんがん。ハッハッハ。なんか言いたくなるねぇ」
「こーがんがん! こーがんがん! へへへっ」
「フフフフ不謹慎ですよぉ」

また、妻が睾丸の異常に気づいてくれたという話を聞いたときは、全員そろって「いい奥さんだねぇー」とにやーり。
おじさんたちは全員前立腺がん。1年以上抗がん剤治療をしている人もいる。小学生のようなしょーもないやりとりを楽しむ人たちと武田は入院生活を送ることになる。


主治医の吉田先生もとっても個性的。
「若い奴らが夢中になっちゃうマンガないですか? 出来るだけながーいやつ。試験が近いんで勉強部屋に置いときたくて。ぬふふっ」
と楽しそうに研修医にイジワルをしたり、
抗がん剤治療で体重が10kg落ちた武田に笑えない冗談をいったりする。
「『抗がん剤ダイエット』って本出したら売れないかなぁ。ぬっはっはっ」
そんな吉田先生が治療に入る前の武田にこんなことを口にした。

「精巣腫瘍は治るがんです。(中略)決して油断しません。徹底的にがんを叩くきつい治療をします。どれだけ泣いても構いませんのでやり遂げて下さい」。
ほかにも研修医、ベテラン看護師、新米看護師など多くの医療従事者が登場する。彼らの働く姿を見て、患者たちは「ハハ今日も忙しそうだよ」と微笑むのだ。


陰となり日向となり、という表現があるが、妻の早苗はまさにそれだ(実は彼女自身も森和美というマンガ家)。
武田は闘病中に“治療うつ”のような状態になった。
顔面の“ピクピク”、物音への過剰な反応、気圧や空気の変化、他人の体臭への激しい吐き気。
抗がん剤の副作用とあいまってストレスがピークに達した武田はある日突然キレてしまった。
心の中では早苗に感謝しながら、自分が何に怒っているのかわからなかったという。
明るく前向きであろうとがんばりすぎたことが原因だった。

後悔でふさぎ込む武田に早苗はこう言う。
「かず君が言った「来るな来るな」っていうのは「助けて助けて」ってことだと思った」
堰を切ったように涙
を流す武田。そして入院以来はじめて「きつい」と口に出来るのだ。
結婚生活の7年間病気がちだった自分にふがいなさを感じていた早苗。
「かず君が疲れちゃったときそばにいて楽にしてあげよう」という彼女のひそかな決意と強さ。
家族もまた闘っていることを痛感させる。


26歳で睾丸がんになった新聞記者の上野創は自著『がんと向き合って』でこんなことを書いている。
「あの忌まわしいヤツめは、ひどい試練をもたらすと同時に、あらゆる授業をはるかに上回る学びの機会をくれたのだ。自分や他人の一生について、こんなに真剣に考えたことは今までなかったし、自分の弱さと否応なく向き合わされることもなかった。鈍感な「強者」になっていた自分に気づいたのも、世の中にあふれる幾多の苦しみや悲しみに思いをはせるようになったのも、すべてがんがきっかけだった。」


同じ病気の市川さん、先輩患者・桜木さんなど、がんになったことで武田は様々な人と出会い、互いの一生にほんの少しふれる。それぞれのエピソードはぜひ本を手にとって読んでいただきたい。
そして、読み終わった後にカラーカバーを外すことを忘れずに(必ず最後にね!)。

『さよならタマちゃん』は過去を振り返ったものではなく、マンガ家・武田一義の未来への一歩をつづった物語だ。
(松澤夏織)