「悪いことをしたら反省するのが当然」「反省してもらわなきゃ困るよね」って考えてると、どんどん犯罪者が増えるよ。
ええええー!?
さらに、自分の子供を犯罪者にしてしまうよ。

って、ええええー!? どゆこと?
と驚きながら読み進めていった。
『反省させると犯罪者になります』
すごいタイトル。
でも、読んでいくうちに納得してしまう力がこの本にはある。

第3章に、女優酒井法子の事例が登場する。
覚醒剤取締法違反で逮捕された彼女は、“自らが犯した事件を謝罪する目的で、「贖罪」というタイトルの著書を出版”する。
これが、まさに「模範的な反省文」になっているのだ。

“これでは自分自身をみつめたことにはなりません。酒井さんには失礼ですが、書名を「贖罪」とするには、内容としては表面的でしかありません”。
また、保釈された後の記者会見での言葉を引用し、“自分の弱さ故に負け”“自分の弱さを戒め”“二度と手を出さない”といった部分をピックアップして、こう指摘する。
“反省することの問題点が、この文面に集約されています”。
彼女は本当に反省しているのか、彼女は本当に弱かったのか。

著者の岡本茂樹は、刑務所の篤志面接委員やスーパーバイザーとして受刑者を支援している。
現場でつちかった方法論や試行錯誤が、本書にはしっかりと描かれている。

まず、そもそも「すぐに反省なんてできない」という事実だ。
にもかかわらず、すぐに反省を求めたり、何の手順も踏まずに反省文を書かせたりする。
受刑者たちは、模範的な反省をつくりだす。
「自分が弱かった」「自分がいかに甘く、駄目な人間であったのかがよく分かりました」
反省していないのに、反省の言葉を語り、りっぱな反省文を書く。
そうしなければ、刑期は減らないし、世間が許さないからだ。

これが、自分の内面と向き合う機会を奪うことになる。
「自分が弱かった」と上っ面だけで反省することで、強くあらねばという思考になる。
鬱屈した思いに蓋をすることになる。抑圧を生む。
自分に厳しくなる。そうなると、助けも求められない。

自分だけでどうにかしようとする。

受刑者は被害者に対する「負の感情」を秘めている、と著者は主張する。
そんな状況で、無理に反省させても、反省することはないだろう。
では、どうすればいいのか。
反省させない。
まず、被害者に対して不満を語らせる。

「あいつさえいなければ、俺は刑務所に来ることはなかった」なんてことを語る受刑者もいるらしい。
もちろん、とんでもない屁理屈だ。
でも、本音で語る。否定的感情を吐き出し、自分の心の痛みを理解する。そこからスタートして、ようやく他者の心の痛みにまで思いが至る。
そこから、真の反省がはじまるのだ。


第4章の見出しは、“頑張る「しつけ」が犯罪者をつくる”。
いじめの現場で、“いじめた加害者は悪い奴で、いじめられた被害者はかわいそう。だからいじめはしてはならない”ではダメだと指摘する。
いじめ防止教育は、“「なぜ、いじめたくなるのか」を皆で話し合う”ことから始めるべきなのだ。
こんなことを書くと、「とんでもない内容だな」と思えるかもしれない。そんな人は、ぜひ読んでみてほしい。
ぼくも、『反省させると犯罪者になります』に書いてあることを受け止めきれなくて、まだ、ぐらぐら揺らいでいるのだ。

「人を殺しておいて、幸せになるなんてとんでもない」という意見があることは承知のうえで、加害者が「幸せ」にならなければならないと、著者は主張する。
“実は幸せになることこそ、更生と関係あるのです。なぜなら人とつながって「幸せ」になることは、「人」の存在の大切さを感じることになるからです。そして、人の存在の大切さを感じることは、同時に自分が殺めてしまった被害者の命を奪ったことへの「苦しみ」につながります。皮肉なことに、幸せを感じれば感じるほど、それに伴って、苦しみも強いものになっていきます。この2つの矛盾した感情のなかで生き続けることは、私たちが想像できないくらい苦しく辛い「罰」となり得るのです。更生とは、幸せと苦しみの両方を受け入れ、「絶対に自分を許すことのない被害者の存在」を自分自身の命が絶えるときまで忘れずに生き続けていくことと私は考えています。真の「更生」には「終着点」がないのです。”(米光一成)