「いいマンガって、人生を左右するほど深く残るよね」。3月に行われたマンガ大賞授賞式の後、選考員とそんな話になった。
セリフ、シーン、ストーリー──。いつの時代もマンガは大切なものを記憶に残してくれる。マンガが特別というわけじゃないのかもしれない。小説だって、テレビドラマだって、CMだって、そのメディア、そのチャネルでしか届かないものはあるだろう。でもマンガでしか届かないものもきっとある。

『ストーリー311』
東日本大震災の被災地へと自ら足を運んだマンガ家たちが、描き上げたドキュメンタリー短編マンガ集だ。主な登場人物は6歳の少女から、71歳のジャズ喫茶のマスターまで。11の物語が11の視点で描かれている。プロジェクトに参加したマンガ家は、ひうらさとる/上田倫子/うめ/おかざき真里/岡本慶子/さちみりほ/新條まゆ/末次由紀/ななじ眺/東村アキコ/樋口橘という11組。マンガ家自身が現地を訪れ、その取材をもとにそれぞれが短編を構成したという。

タイトルのない11編

各ストーリーにタイトルはない。
扉ページには作家の名前と地域名のみが記され、あの日とあの日以降の“日常”が、8ページずつにまとめられている。その主人公は次のような人たちだ(順不同。概況、年齢・職業は当時)。

・妻を失い、6歳の娘との生活に光を見出そうと模索する父親(44歳・男性)。
・自らを二の次に、生徒たちを守ることに専心する小学校教師(36歳・女性)。
・原発事故直後に関西への転校を強いられた中学生(中学2年生・女性)。

・開店3か月の店が流されてしまった、ジャズ喫茶のマスター(71歳・男性)。

他にも、家族や周囲の健康を不安に思う母親、友人を助けられなかった後悔を抱える男性、自店を失いながら避難所で半年間料理を担当した調理人兄弟など、ストーリーの主人公の立ち位置はそれぞれ異なる。

こうした「被災者のプロフィール」は震災後、数多く報道されてきた。しかし受け手にとって「情報」だけを並べられても記憶には残りにくい。かといって、誰かひとりに焦点を当てると、無数にある感情にまで想像が広がらない。表現者の手法が受け手に合わなければ、たったひとつの物語すら届かない。


その一方、震災というテーマを扱うのはとてもむずかしい。現地を取材した作り手には多かれ少なかれ「そこに住まう人を傷つけてはいけない」という心理が働く。同じ表現をしてもなんとも思わない人もいれば、傷つく人もいる。大切なものを失った人たちを傷つけずに、誰に何をどう届けるか。『ストーリー311』の冒頭に、現地で「語り部」という活動をする人が、描き手であるマンガ家たちに向けて語った言葉が書かれている。

「助かった方々でもお話してくださらない…。
いや…できない方はたくさんいます。私達もこうやって他の方のお話をするときはものすごく気を遣いますし…つらいです。ましてやあなた方は出版されるものを描かれるのでしょう。“伝える”っていうのはすごくすごく覚悟のいることなんですよ」

このプロジェクトの趣旨に賛同したマンガ家たちなら、最初からその「覚悟」は当たり前のように持っていたはずだ。それでも冒頭でわざわざこのシーンを描いたのは、想像を超えた現実があったからだろう。それは同じページに書かれた「特に現地に立って感じる 波の高さ 被害の範囲の広さに圧倒されました」という一文にも象徴されている。


「被災地」以外の人ができる、たったひとつのこと
『ストーリー311』に載録された作品はとても繊細で緻密だ。過度に煽り立てることなく、現実から目を背けることなく、11のマンガ家がていねいに11の物語をつむいでいく。

描かれているのは、傷つきながらもそばにいる人の背中を押し、誰かの手を取ろうとする人たちの姿。あるマンガ家は彼らの言動を「明るく優しくたくましく」と表現し、別の描き手は「強がり」だという漁師の言葉を描いた。また「我々がその裏にある思いを想像する努力を忘れてしまったら みんなの元気はもたなくなってしまう」と書いた作家もいた。いっぽう被災直後、がれきに埋もれた金庫をあさる「火事場泥棒」の姿が描かれた作品もある。そのすべてが現実だ。

僕自身が震災後の「被災地」を訪れたのは、現地がとりあえずの日常を取り戻してからだった。地元の人との会話は、東京の友人と話すときのそれと変わらないし、彼らの口調も明るい。「特攻隊」として初期の原発作業に赴いた人も、復興に向けて活動をする人たちもそうだった。居酒屋の店主に至っては、「元は地魚の店だったんだけどね。(福島が禁漁になった)いまは、地魚以外の店になっちゃった」とカラカラと笑った。正直、どう反応していいか戸惑った。

その答えは『ストーリー311』のエピローグにあった。発起人が現地の新聞記者に、被災地以外の人はいま何をしたらいいのか、尋ねるシーンがある。しばし逡巡した後、記者はにこりと笑って「“ここ”に来て飯食って酒飲んでお土産話持って帰ってくれればそれで充分ですよ」と回答する。

本当に「それで充分」なのかはわからない。でも“ここ”に行き、そこに漂う空気に触れることに意味はある。震災後にどう振る舞うべきか。どこに暮らしていても、たったひとつのわかりやすい正解はない。たぶん『ストーリー311』は、“安全圏”に暮らし、ときどき忘れてしまう僕たちのためにあるのだろう。この物語に登場する人物の一言一句、線の一本一本、そしてそこに込められた描き手の葛藤──。マンガだからこそ伝わる思いと、そこにある現実を読者が受け取ったとき、11のストーリーはより深く記憶に刻まれる。
(松浦達也)