ズバッ! 『崖の上のポニョ』おもしろいなー。
不思議で嬉しくて驚きがいっぱいのアニメだ。

ジブリ作品は大人気だから、都市伝説的な不気味な解釈もたくさん出てくる。
有名なのは『となりのトトロ』の、トトロは死神で、後半メイやさつきは死んでいるというもの。
これについてはジブリのブログ「ジブリ日誌」で以下のように明記されている。
“みなさん、ご心配なく。トトロが死神だとか、メイちゃんは死んでるという事実や設定は、「となりのトトロ」には全くありませんよ。最近はやりの都市伝説のひとつです。
誰かが、面白がって言い出したことが、あっという間にネットを通じて広がってしまったみたいなんです。「映画の最後の方でサツキとメイに影がない」のは、作画上で不要と判断して略しているだけなんです。みなさん、噂を信じないで欲しいです。……とこの場を借りて、広報部より正式に申し上げたいと思います。”


そして、『崖の上のポニョ』だ。
後半の水没した町のシーンに登場する人たちはみんな死んでいる。
死後の世界なのだ! 実は恐ろしい話で、とても悲しい話なのだ。という解釈。

たしかに津波の後の水没した町を描く後半は、現実世界とは思えない。
たくさんの有り得ない出来事が次々と起こる。以下のようなシーンが続いて、あたかも極楽浄土のようなイメージである。
・歩けなくなっていた「ひまわりの家」のおばあちゃんたちは、なぜか走り回っている。

・小金丸の船員が船の墓場を見つけ「船の墓場ですよ、きっと。あの世の入り口が開いたんですよきっと」と言う。
・その後、巨大なグランマンマーレが通過したのを見て「観音様が見えた」「観音様の御神渡だ」と言う。
・津波に水没した町がそのまま綺麗に残っているし、水も濁りがなく綺麗。
・トンネルを潜ろうとすると、ポニョが魚にもどっていく。

さらに、音楽を担当した久石譲は、ポニョについて次のように語っている。

“死後の世界、輪廻(りんね)、魂の不滅など哲学的なテーマを投げかけている。でも、子供の目からは、冒険物語の一部として、自然に受け入れられる。この二重構造をどう音楽で表現するか。そこからが大変でした”2008年7月31日読売新聞

プロデューサーの鈴木敏夫も、平気で走り回るおばあちゃんたちのシーンを観て「これは、もうあの世ですね」と言ったとか。

こ、これは、やっぱり死後の世界なのか? リサも、おばあちゃんも、ポニョも宗介も死んでいるの?

だが、宮崎駿は、インタビューで次のように語っている。
“死は匂うけど、そういうものの中に同時に自分たちが描きたいキラキラしたものもあるから。
あんまり生と死っていう言葉を使いたくないですよね”
(「CUT No234」宮崎駿4万字インタビュー)

そもそもポニョは、写実的なリアリティにこだわる映画ではない。
絵のタッチそのものも、奔放にリアリティを更新している。
たとえば宗介がポニョと出会うシーン。
キャラクターはセル画調。手前の岩場は色鉛筆のタッチで描き込まれている。遠景の船は果敢に省略され素朴な落書きのようだ。

ポニョの絵の特徴は、ひとつの理屈で統一することのない大胆さだろう。こんなにも違うタッチの絵が混在していながら、観ている者に違和感なく世界を投げ渡す。

物語の展開も、理屈で正しく構成するという方法ではない。
ロバート・ホワイティングとの対話で、宮崎駿は、作り方をこう語っている。
“どこへたどり着くか、わからないけれど、出かけてみるしかない。そういうふうに、スタッフへ言いました。スリリングすぎて辛いですけども、全部見通すまで、ひたすら歩き続ける”『ジブリの森とポニョの海』
『カリオストロの城』は、“一種の頭の遊び”のように綿密に構成したが、“この方法を続けると、仕事に頽廃が生まれると感じ”、新しい方法論でつくることにした。
“やっぱりアニメーションの王道っていうのは、子どもたちが観て楽しかったと言ってくれることだと。全部、筋がわからなくていいんだっていういことは、いつも思っています”「CUT No.234」宮崎駿4万字インタビュー)
理屈で帳尻を合わせるような作り方を目指していないのだ。


ポニョの言葉の響きについて、久石譲は次のように述べている。
“「“ポ”は破裂音で発音時にアクセントが自然につくし、“ニョ”はそれを受け止めるぬめり感がある。“ポ”から“ニョ”へはイントネーションが下降しているので、メロディーラインも上昇形でなく下がっていく方が自然だ」”(雑誌「熱風」よりYOMIURI ONLINEからの孫引き)

映画の構成も「ポニョ」の言葉の響きのようだ。
無数の海の生命が多層に動き回る生命のお祭りを描いたかのようなシーンではじまり、ポニョが津波の上を走り回るシーンまで、いっきに破裂したような勢い、その後は“受けとめるぬめり感”のある不思議な静かさ(ラストの試練を乗り越えるのが「はい」って返事をするだけ!)。

そして、映像を観れば観るほど、あれが悲しく怖い終わり方ではないことを確信する。
どちらかというと、もっと、のうてんきだ。
古代の海、生きている時代がばらばらな人々、走り回る老人、水没しても美しく残っている町。


74歳のベテランの少年、大林宣彦監督の映画「この空の花」を、以前こう評した(大林宣彦監督「この空の花」が超問題作! じじいがすごいことをガツンとやった!)。
“すさまじいというか、じじいがガツンとやると、すごいことを素でやる!
理屈超える、時空超える、映画超える。
マジックリアリズムっつーより、じじいリアリズムで、デタラメさ満載の掟破り超傑作かつ超駄作かつ超問題作。”


『崖の上のポニョ』は、67歳のベテランの少年、宮崎駿が作ったじじいリアリズムの超問題作なのではないか。
“年寄りの若僧として目の前の扉がギーッて開いちゃいましたから。この薄明の天地の境も定かじゃないところに向かって行くんだなあって感じの扉が開きましたからね”(「CUT No.234」宮崎駿4万字インタビュー)

生も死も理屈も非理屈も過去も未来も現実も寓話も老いも若きも渾然一体となった薄明の天地の境も定かじゃない世界が、後半のシーンなのだろう。

インタビューで宮崎駿はこう答えている。
“ヌケヌケとした結末を作ってみようっていう。今、悲劇を作る理由が自分たちにないと思って。だって目の前にいるチビたちを見てね、これを祝福せざるを得ないじゃないかっていう。祝福されているかどうかわかりませんよ? でも祝福せざるを得ないっていう。そういう映画を作るんだと”(「CUT No.234」宮崎駿4万字インタビュー)

311を体験した後、初めてテレビ放映される『崖の上のポニョ』を、ぼくはどんな気持ちで観るのだろうか。っつーまとめっぽいこと書きながら、劇場で初めて観たときタイトルが出る前の5分間でもう泣いちゃったほどのポニョ好きなので、なーんも考えずにまた観たいと思います。米光、ポニョ、大好きー!(米光一成)