「ATARU」(TBS日曜21時〜)の登場によって、警察ドラマがいよいよ爛熟期を迎えたことを感じている。
毎クール、必ずといっていいほど警察ドラマ(探偵ドラマも含む)が放送されるが、ここのところ特に増加している気がするのは気のせいではないはず。

そのうちドラマと警察ドラマが同義語になってしまうのではないだろうかと余計な心配すらしてしまう。いっそのこと終日警察ドラマをやっている警察チャンネルなどを作ってはどうだろうか。どうでもないか。

そんな調子だから、ふつうの警官や刑事や探偵に「じっちゃんの名にかけて」とか「よし!わかったぞ!」とか「うちのカミさんが」(古い)「承知ししました」(警察モノじゃねえ!)などの決め台詞を、手を変え品を変えて言わせていくだけでは、当然限界もあろう。
だからなのか、一般にはあまり知られていない検視官やら公安外事警察などの特殊なお仕事が次々と掘り起こされていく。ついには、超能力者を取り締まる仕事や大人がコドモになってしまう、なんていう漫画みたいな設定のドラマも登場した。

今度はきっと似顔絵捜査官だなと予想したら、既にやってた。ぎゃふん。
で、「ATARU」の工夫はこうだ。

「ATARU」は、特殊能力をもった主人公に、FBIまで絡んでくる国際的警察ドラマという作りになっている。
アメリカからやってきた主人公アタル(猪口在、あだ名はチョコザイ)は、映画「レインマン」で幅広く認知されたサヴァン症候群という症状をもっている。感情表現やコミュニケーション能力の代わりにものすごく発達した記憶力をもっていて、それを生かして事件を次々と鮮やかに解決していく。

通常だと警察ドラマの主人公は、たくさんしゃべったり、たくさん動き回ったりするアクティブなものが多い。ところが、アタルは驚くほど寡黙。人の話にもあまり反応しないで内向している。ほとんど寝ているだけの回もあった。チャレンジなドラマだ。

その彼の目覚ましい能力は、シャボン玉が無数に舞うという美しいCGを使って表現という工夫が凝らされている。
手間がかかったドラマだ。
主役がおとなしい分、他の登場人物たちが過剰に濃いキャラクターで奮闘する。下睫毛が銭形警部、もみあげ〜あごひげが次元大介みたいな北村一輝、大食いな美人刑事を全力で演じる栗山千明、へんな語尾でアタックをかける田中哲司、とぼけた感じがチャーミングな中村靖日、途中でキャラが変貌しても誠実に取り組む平岡祐太、ジャニーズから玉森裕太、AKB48から光宗薫などが、これでもかこれでもかと個性やギャグを振りまいていく。

こんなだから、台詞を聞いてるだけのながら見なんか許されない。トイレタイムすら許さない。意外と手厳しいドラマでもある。

脚本を手掛ける櫻井武晴は「相棒」の主要ライターのひとりなので、一話完結推理ドラマとしての体も十分。さらにはアタルに隠された秘密を、全話通して描いていくことに腐心もしている。盤石なドラマなのだ。
アタルのもっているネズミのぬいぐるみ、ケチャップとハニーマスタードのがぶ飲み、花好き、「アップデートしました」という決め台詞などさまざまな行為がただの釣りオプションではなく、のちのち意味が明かされていく手際にもワクワクさせられた。

また、アタルが欠かさず見ていた海外ドラマ「シンクロナイズドスイミング刑事」は、警察ドラマの中に警察ドラマ。アタルがパーカー2枚重ねしているが、何かと重ねるのが好きなドラマである。

「シンクロ刑事」はこれだけでも独立して成立しそうなコンテンツだが、惜しげもなく番組内ドラマにした上に、さらに至極全うな機能を付加していて、たまげた。
作家の意地を見せられた気分だ。それも、テレビを使った催眠ネタを堂々とやってしまうなんて、あわあわ、あっぱれでござす。
 
そんなガヤガヤした中のひとつに、ほかの刑事ドラマのパロディーが出てくる遊びもある。警視庁の中には「ATARU」世界も「相棒」世界も「SPEC」世界もあるような、いわばパラレルを統合したかのようなドリームが広がるわけだ。
もっとも、ほかの刑事ドラマのパロをやるなら、各作品の出演俳優はあまりかぶらせないほうがいいと思うがいかがだろうか。
漫画だったら手塚治虫のようなオールスターシステム(作品をまたいでおなじみのキャラが登場する)が通用するが、同じ俳優が違う役を演じている別作品を、同一世界のように描こうとする遊びは、いささか高度過ぎるかもしれませんぜ。
こんなふうに、いいところ、気になるところ、あらゆる要素がごった煮されて、混沌とした世界に溺れてしまいそうな「ATARU」。

しかし、大丈夫。それを解消する救世主がいるのである。

それはもちろん、主演の中居正広だ。
どんどんと内容がカオス(混沌を英語にしただけ)になればなるほど、中居の演じるアタルの無垢さや透明感が際立ってくるところが、このドラマのマジカルなところ。
なんかめちゃくちゃに荒れた試合で観客が大騒ぎしている中に、ある男がピッチャーマウンドに立つと、たちまち場内が水を打ったような静けさに、
みたいな感じが、中居くんにはありますでしょう。
バラエティーでハゲ親父を演じたり手練な司会っぷりを見せたり、へんな私服を発表したり、歌では音程を外したりしているにも関わらず、中居くんの体幹は不思議と真っすぐに感じられ、アスリートのもつ求道者的な空気に似たものを漂わせている。

そもそも中居くんの瞳は、奈良美智の描く少女の瞳のような、世界のあらゆるものを見つめているようなところがあるわけで。それが、アタルにピッタリなわけで。
「ATARU」の存在意義って、そこに尽きると思うのだ。
正義や悪をすっぱり切り分けることも、真実を確実にキャッチすることも、今の世の中、俗にまみれて濁ってしまって、悲しいかな、フツーの人間にはできそうにないものじゃあないですか。
と、絶望してみるものの、でも、もしかしたら、そういうものとかけ離れたアタルになら、それを託せるんではないかしらん。そんな新しい希望を「ATARU」は毎週日曜日の夜に感じさせてくれている。
ピアソラのアルゼンチンタンゴみたいな、南米の混沌の中から立ちのぼる切ない美しさのあるテーマ曲も、一層、中居くんの浄化能力を高めていく。

しかしながら、ここまで警察ドラマを突き詰めてしまうと、この後、どうするんだろう? やっぱり、世紀末ウイーン芸術か、元禄文化か、みたいなことになってきていませんか、警察ドラマ。
助けて、中居くん!
(木俣冬)