強烈な個性(髪型も含む)を放つ不動産王ドナルド・トランプが次期大統領選の共和党候補指名争いに出馬宣言したことで、ますます盛り上がってきた2016年アメリカ大統領選挙。ドナルドが隣国・メキシコを目の敵にするような過激な発言を連発できるのは、選挙資金をかき集める必要のない大富豪だから。

誰にも気兼ねすることなく、自分のお金でやりたいようにやっているからである。

 1年以上も続く大統領選挙には多額の選挙資金が必要で、ほかの候補者たちにとって、資金集めが大きなハードルとなる。しかし、この3カ月で4,500万ドル(約55億円)を超える選挙資金を集めた、驚異的な候補者がいる。それは、4月に次期大統領選の民主党候補指名争いに出馬表明したヒラリー・クリントン。短期間で多額の資金を調達できるヒラリーはアメリカ国民から愛されている、という証拠でもある。ヒラリーは、「人々は私を信じるべきだし、信じている。
選挙結果にもそれが反映されると確信している」と自信満々。その言葉の通り、多くのアメリカ人が彼女に厚い信頼を寄せているのである。

 ヒラリーがここまで熱狂的に支持されるのには、掲げる政策以外の理由も大きい。頭脳明晰で冷静、効率的に仕事をこなすサイボーグ的イメージがある一方で、ウィットに富み、人間くさい“おもしろエピソード”を多く持っているのだ。彼女の人間性に魅力を感じ、支持する人も少なくない。今回は、女性初のアメリカ大統領への期待を寄せられているヒラリーの伝説を紹介しよう。


1.「強い女」の英才教育

 繊維会社を営む家に生まれたヒラリー。彼女の母は専業主婦で、ヒラリーの原型ともいえる強い女性。ヒラリーが4歳のときにいじめに遭ったと泣いて帰ると、母親は「この家に弱虫が住む場所なんてないの。次に彼女が叩いてきたら、叩き返しなさい」とピシャリ。ヒラリーが、夫ビル・クリントンの度重なる浮気に傷ついていたときも、「離婚なんて考えるんじゃないわよ」と言ってのける母親が、ヒラリーの支えになったことは紛れもない事実だろう。

2.大学卒業式で政治家批判

 移民の子どもたちのベビーシッターをするなど、10代の頃から社会問題に目を向けてきたヒラリーは、優秀な成績でマサチューセッツ州の名門女子大、ウェルズリー大学に進学。
テレビのクイズ番組『College Bowl』に出場するなど充実した大学生活を送り、卒業式では総代に選出され、卒業生としては初めて演説を任された。式では、同州連邦上院議員エドワード・ブルックの演説があったのだが、ヒラリーはその直後の自身の演説で彼を批判したために注目を浴び、大手グラフ誌「LIFE」のインタビューを受けることに。白いブラウスに縦縞のズボンという、当時としてはファッショナブルないでたちで取材に応じたヒラリーは、「物おじしない才女」として全米に紹介された。

3.夫を選んだ理由は、「私のことを怖がらない人だったから」

 ウェルズリー大学卒業後、食器洗いやツナの缶詰工場でバイトしながらアラスカ旅行をしたヒラリーは、その後、難関イェール・ロースクールに進学。イェールを選んだ理由は、某パーティーでハーバード大学の教授から「我が校にはこれ以上、女はいらない」と言われたからだったという。このイェールでヒラリーは運命の男性ビルと出会うことになるのだが、最初にアプローチしたのはヒラリーの方だったとのこと。
図書館で彼女をチラチラ見ていたビルのもとに歩み、「あのね、いいこと? あなたが私を見つめて、私もあなたを見つめ返すにあたって、少しはお互いのことを知っておくべきだと思うの。私はヒラリー・ローダム。あなたの名前は?」と自己紹介。2人はすぐに交際を開始し、4年後の1975年10月に結婚。自宅のリビングでメソジスト教会の教えに沿ったこじんまりとした式を挙げたのだった。ちなみに、ビルと恋に落ちた理由は「私のことを怖がらない人だったから」と説明している。


4.「あなた、その質問を男性にもする?」

 愛国心の強いヒラリーは、海軍入隊を志願したことがある。それは、新婚で、アーカンソー大学ロースクールで教鞭を執っていた75年のこと。期待に胸を膨らませ、海軍の募集事務所に行き「せめて予備軍にでも」と志願したのだ。そんな27歳のヒラリーを、21歳くらいの若い海軍リクルーターは一瞥し、「年齢もかなり高いですし、分厚い眼鏡をかけていますね。その視力じゃ、海軍はお勧めできません」と説明。「あなたは年を取りすぎており、視力も悪い。
それに女性だ」と断られ、「犬のとこなら採用してくれるかもよ」と鼻で笑われたのだという。アメリカでは陸軍のことを犬と表現するのだが、ヒラリーはこのことを屈辱的にとらえ、「別に軍隊じゃなくても、国のために尽くせるわ、と思った」とインタビューで回想している。また、記者から「どんなデザイナーの服が好きですか?」という質問を受け、「あなた、その質問を男性にもする?」と切り返したことがあり、人々が持つ意識的/無意識的な女性差別にはとことん厳しい。

5.キャリアをものにしてきた、現実主義者

 結婚して家庭を持つ一方、ヒラリーは、弁護士(「最も影響力のある弁護士」にも選出)、大手スーパー「ウォルマート」の社外取締役、ファーストレディ、上院議員、国務長官と輝かしいキャリアを手に入れてきた。彼女が成功した秘訣は、冷静な現実主義者だから。「92年の大統領選で、ビルがジャクリーヌ・ケネディから資金提供を受けた際、“この小切手は換金できないよ”と感激するビルから小切手を奪い、“コピーをとってから換金すればいいじゃない”と言い放った」というエピソードは、その象徴的なものだとして語り継がれている。

6.実はグラミー受賞者

 法律と政治の世界でのし上がってきたヒラリーは、エンターテインメントには無縁のように見えるが、実はグラミー賞を獲得している。とはいえ、歌ったわけではなく、自身が初めて著したベストセラー本『村中みんなで』を朗読したアルバムに対して、最優秀スポークン・ワード・アルバム賞が贈られたのだ。97年のグラミー授賞式に現れたヒラリーは、ゴールドのドレスを着用。エレガントな熟女だと、さらなる人気を集めた。

7.ジョークがわかる女

 頭でっかちな印象を持たれるヒラリーだが、最高のユーモアセンスの持ち主としても知られる。03年に自伝を発売したとき、ニュース番組の司会者が「意味のない本」だと酷評。「もし100万冊売れたら、今、履いている靴のひもを食べる」と宣言したことがあった。司会者の予想に反し、自伝はあっという間に100万冊を超えるベストセラーに。これを受けて、ヒラリーは司会者に巨大な茶色の靴の形をしたチョコケーキとサイン本を贈り、「最高の仕返し」だと話題になった。また、“スーツにサングラス姿でブラックベリー(携帯端末)の画面を見つめる、マフィアのボスのようなヒラリー”の写真がネット上で話題になり、コラージュ画像ネタとして大流行したときも怒ることなく大歓迎し、Twitterのプロフィール写真として採用した(現在は選挙用の写真に変更)。

8.60過ぎてもクラブが好き

 世界の大物政治家や指導者との会談でも、汗ひとつかかないという冷静なヒラリー。外遊が得意な彼女だが、外国で難しい話ばかりしているわけではない。12年にオバマ大統領とともに首脳会議に出席するためコロンビアを訪れた際、女性スタッフを引き連れてナイトクラブ「カフェ・ハバナ」に繰り出し、ビールをラッパ飲みしたり、ダンスしたりと大はしゃぎ。その様子を収めた写真が米メディアで紹介され、親近感を抱かれるようになった。

9.外見に無関心で、「私の見た目は、国民が心配して」

 ヒラリーは時折、ドすっぴんで公共の場に現れることがある。本人は清潔にしていれば外見はどうでも構わないと思っており、「外見は、そんなに重要なものじゃない。もし、すっぴんなかどうか心配だというのなら、どうぞ心配なさって。私はこの国のため、日々頭を悩ませているのだから、たまには皆さんが心配するのもいいでしょう」と発言。またシュシュなどのヘアアクセサリーの趣味がとてつもなくダサいのだが、冷徹な女ヒラリーの思わぬ欠点として愛されている。

10.米大統領をソファーに寝かせた女

 ビルの浮気騒動に悩まされることが多いヒラリーだが、最大のスキャンダルであるモニカ・ルインスキー事件の時でさえも、離婚はせずに夫を支え続けた。「仮面夫婦だから平気なのだろう」「ヒラリーはレズビアンだから平気なのだ」とゴシップもされたが、ビルは後に「ヒラリーはなにがあっても親友でいてくれたが、モニカ・ルインスキーの件では激怒し、2カ月間、同じベッドで寝かせてくれなかった。その間、ずっと古いソファーで寝ていた」と告白。「時が流れ、彼女に笑顔が戻り、自分はベッドを取り戻せたけれど、もう二度と彼女を裏切らないと誓った」と明かしている。ビルを捨てなかったヒラリーを甘いと批判する声もあるが、大統領である夫をソファーで寝るよう命じられるのは彼女だけ、妻としてのプライドの高さがうかがえる。