『夫のちんぽが入らない』──。
レジに持っていくのに思わず躊躇してしまう、こんな衝撃的なタイトルの本がいま大変な話題を集めている。
『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)は、著者のこだま氏が「文学フリマ」で発売した同人誌「なし水」に寄稿した同タイトルの短編が元になった自伝的私小説。何ともネタ感の強い表題ではあるが、その物語はおふざけなどではなく、性、出産、親子関係、仕事などに悩み苦しんだ一組の夫婦による切実な戦いの記録である。
こだま氏が夫と出会ったのは18歳のとき。大学進学に際して入居したアパートの2つ隣の部屋に住んでいたのが縁だった。
〈私と彼は、セックスをすることができなかった。
ちんぽが入らなかった。
(中略)
最初何をふざけているのだろうと不思議に思った。
でん、ででん、でん。
まるで陰部を拳で叩いているような振動が続いた。
やがて彼は動きを止めて言った。
「おかしいな、まったく入っていかない」
「まったく? どういうことですか」
「行き止まりになってる」
耳を疑った。行き止まり。そんな馬鹿なことがあるだろうか〉
彼はこだま氏のことを処女だと思い込み、その夜は無理をせずに寝ることになった。しかし、彼女は処女ではなかった。高校2年のときに初めてした相手とは、痛みと出血はあったものの問題なく事を行うことができたのだ。だから、日を改めてまた夜が来ても結局うまくいくことはなかった。
何が原因だったのかは本書では明かされない。著者のブログ「塩で揉む」のなかでこだま氏は、この話を読んだ複数の女性から同様の悩みを打ち明けられたと明かしており、それは決して彼女だけの特異なケースというわけではないようだ。
とはいえ、セックスができないという一点を除いては、こだま氏と彼の交際は順調に進み、ほどなくして結婚。だが、幸せな生活は長くは続かなかった。
仕事での人間関係に躓いたこだま氏は自死を思い立つほどに追いつめられ、夫婦もすれ違うようになっていく。そんな日々のなか、こだま氏はインターネットを通じて知り合った男性とセックスしてしまう。
さらに、20代後半に差し掛かると、今度は両家の親族から子どもを産むようにプレッシャーがかかってくる。だが、もちろん「夫のちんぽが入らない」という問題を抱える2人はその思いに応えることができない。
こだま夫妻がそのあとどういう道を選んだかはぜひ、本書を読んでもらいたいが、読み進めていくうちに、こだま氏が葛藤してきたのは、物理的に「ちんぽが入らない」ことだけではないことがよくわかってくる。こだま氏が戦ってきたもの、それは「普通」だ。夫婦そろって子どももいて、家族助け合って生きていく。それが「普通」。
『夫のちんぽが入らない』は、そういった時代のなか生み出された極めて現代的なテーマの物語だ。多様性に対しての不寛容さがどんどん広がるなか、こだま氏がつづる言葉は重要なアンチテーゼとして強く響くのである。
『夫のちんぽが入らない』というタイトルも実は、センセーショナルを狙ったわけではなく、もっと深い意味合いがあったようだ。ウェブサイト「cakes」に掲載された、詩人・文月悠光氏との対談でこだま氏自身はこのように語っている。
〈文月 タイトルの「入らない」の部分についてもお伺いしたいのですが、これは文字通り「入らない」という意味もありますし、大人の社会に「入れない」、世間で「これが幸せ」とされる家族の形に「入れない」というところにも掛かっているのかなと思ったんです。
こだま わあ......うれしい。タイトルについては、変える話は何度も出たのですが、だとしても「入らない」だけは使いたいと思っていたんです。ちんぽも「入らない」し、級友の輪、生徒の心、妊娠や育児の話......とあらゆる場に「入れない」自分を強く意識しながら過ごしていました。これ、読み取っていただけてすごくうれしいです。〉
だが、この本をめぐって一つ懸念があるという。問題となっているのは、やはりインパクトの大きすぎる『夫のちんぽが入らない』というタイトルだ。「週刊ポスト」(小学館)2017年1月27日号にはこのように書かれていた。
〈発売前から話題沸騰の本書だが、一つ大きなハードルが立ちはだかる。新聞広告だ。書籍のタイトルにもかかわらず、新聞社によっては「ちんぽ」という字が審査で引っかかり、広告を出せない事態が想定されるという〉
『夫のちんぽが入らない』は決してふざけた本ではないし、エロ小説でもない。押し付けの家族観・恋愛観に苦しんでいる人に一筋の光を照らしてくれるような本である。一読すれば、ただのウケ狙いのタイトルなどではなく、このタイトル以外にあり得ないことも理解できるだろう。タイトルだけでこの本が誤解され、届くべき人のところまで届かないといった事態が起きないことを切に願うばかりだ。
(新田 樹)