「愛人にしたいナンバー1タレント」の異名を持つ橋本マナミ(30)。3年前の事務所移籍と同時に清純派からセクシー路線に変更したのが功を奏し、現在の活躍に至った。



 同じセクシー路線のタレント・壇蜜について橋本は、「頭の良さは負けてますけど、ボディーでは勝ってると思ってる」と強気でアピールしたり、自身の愛人キャラについては「実は愛人オファーがすごいんです。お金の交渉をされることもある」と大胆にも暴露している。あのビートたけしも、「『3人目の愛人にならない?』って電話番号聞いたり、空いてるマンションの部屋あるからと誘ったんだけど、なびいてくれなくてさ~」とぼやくほどだ。

 今や大物タレントまでをも魅了する橋本だが、下積み時代は長く、生活にもかなり苦労したという。橋本の不遇時代に親交のあった男性(Aさん)が当時を振り返る。

「僕とマナミが知り合ったのは、今から8年前、あるファッションブランドのパーティーでした。
マナミはケータリングのスタッフとしてドリンクを運んだりお客の接待をしていたんです。目立ってキレイだったので、『君、タレントっぽいね』って声をかけたんです。そうしたら『よく言われます。タレントになりたいんです』って答えたから、一般の女の子だと信じていました」

 その当時橋本は、大手芸能事務所オスカープロモーションに在籍し、細々と女優業やグラビアなどの仕事をこなしていた。デビューのきっかけは、数多くの女優・タレントを輩出することで知られる「全日本国民的美少女コンテスト」で演技部門賞を受賞したため。しかし橋本は、同じ年に審査員特別賞を受賞した上戸彩の影に隠れてしまい、脚光を浴びることは少なかった。
Aさんは続ける。

「マナミは当時、本名の細川を名乗っていました。ケータリングのアルバイトをしながらタレントを目指しているということだったので、芸能界に友人が何人もいる僕としては人脈を紹介しようと思い、マナミを色々なパーティーに連れ出していました。2007年4月に行われた安倍晋三首相主催の『桜を見る会』にも連れて行ったのですが、文化、芸能、スポーツ界の大物たちと間近に接して、少し緊張気味でした。ある芸能事務所の社長も参加していたので紹介しようとしたらマナミに拒否されたので、『なぜだろう?』と不思議でした」

 それもそのはず、当時橋本が所属していたオスカーではアルバイトは禁止されていた。売れないタレントという身分を隠しながらケータリングのアルバイトをして、一般人として『桜を見る会』に連れてきてもらっていることが事務所にバレたら、橋本にとっては痛手となる。


「パーティーに一緒に行ったりご飯を食べたりする関係が2年くらい続き、マナミの25歳の誕生日には彼女のリクエストで、自転車を買ってあげました。都心に住んでいたマナミは『交通費をかけないで移動したいから』と、経済観念もしっかりしていました」(同)

 オスカーに所属している女優の菊川怜は、事務所には恋愛禁止ルールがあることを明かしているが、10代にデビューした橋本の場合、25歳まで恋愛禁止というのが暗黙の了解だという。

「マナミの話を聞いていると、同年代の彼氏がいてコロコロ変わっているようでした。僕は残念ながら、いいように使われるだけでしたね」(同)

●ブレイク

 その後Aさんは、深夜番組に出演していた橋本を見て腰が抜けるほど驚いたという。

「すぐにマナミに確認すると、『ごめんなさい、うちの事務所はアルバイトが禁止だから、ケータリングのアルバイトをしているってわかったらクビになっちゃうの。だから正直に言えなかった』と素直に謝罪しました。
なんでもマナミクラスだと月給制で、月に20~30万円とのこと。仕事はあまりなくて時間を持て余しているから、2時間8,000円のケータリングのバイトを時々入れていると懐事情を話してくれました」

 美少女コンテストを勝ち抜いて、華々しくグラビアデビューした橋本だったが、ブレイクするまでの道のりは長かったのだ。

「先日あるパーティーでマナミを見かけましたが、冷たいもので挨拶もしてくれませんでした。いい男がいないか一生懸命物色していて、あの頃のスレていないマナミはもういないんだと確信しました」

 橋本としては大人の色気を解放してようやく手に入れた地位だけに、“ルール違反”の過去は封印しておきたいところだろう。
(文=編集部)