台湾の中央通訊社によると、馬英九総統は21日に行われた、元日本軍従軍慰安婦の鄭陳桃さんの追悼会に出席して、「慰安婦が性奴隷だった事実は、全世界の共通認識だ」、「国内(台湾)で、慰安婦が強制された物かどうかを議論してはならない」と述べた。

 馬総統はこれまでに何度か、総統府に鄭さんを含む元日本軍従軍慰安婦を招いて話したり、会食をしたことがある。
鄭さんは1月11日に肺炎で死去した。馬総統は21日に台北市内で行われた鄭さんの追悼会に出席して、「私は20年にわたり、慰安婦の問題に関心を持ってきました。災難を受けたおばあさんのために権益を取り戻さねばならないと思ったのは、鄭さんを知ったからです」、「鄭さんに会うたびに、私は自分の母親を思い出しました」などと述べた。

 馬総統は「1996年の国連人権委員会の調査報告による」として、慰安婦15人が「強制」されていたと主張。「慰安婦が性奴隷だった事実は、全世界の共通認識だ。いかなる国家も個人も飾り立てたり強弁することは認められない。
国内(台湾)で、慰安婦が強制された物かどうかを議論してはならない」と述べた。

 馬総統は、李登輝元総統が2015年に「慰安婦問題はすでに解決」、「慰安婦は、自ら進んで軍隊がいる戦地へ向かった」と述べたことを、改めて強く批判した。

 なお、鄭さんは生前、慰安婦になった経緯を「だまされた」と説明していた。「日本を恨んでいる」とも述べたが、終戦前を含め「日本人にもよい人がいる」ことを強調したという(解説参照)

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◆解説◆

 これまでに伝えられている鄭さんの略歴は以下の通り。

 1922年に日本統治下の台湾・台北市で生まれた。16歳の時に、台北州板橋荘(現・新北市板橋区)に売られ、酒を飲ませる店で接客を強要された。
その後、魏と名乗る男に「外地で看護婦になる仕事がある」と言われて応じたが、インド洋のアンダマン諸島で、慰安婦として働かされた。

 最初の契約期間が切れてからも慰安婦として働くよう指示されたが、日本軍の看護長(軍医とも)に恋愛感情を抱いてからは、他の客を接することは断じて拒絶し、飲食店で接客をするようになった。1945年4月には、看護長の子を妊娠していることに気づき、台湾に戻ったが流産した。看護長は「必ず台湾に戻る。また会おう」と言って、鄭さんに預金通帳も渡したが、鄭さんが台湾に戻ってからはその後の連絡はなかったとされる。

 鄭さんは、日本軍の従軍慰安婦をしていたとして、台湾でも周囲から迫害された。
その後、結婚したが、元慰安婦と夫には言えなかったという。夫は20年後に交通事故で死亡した。鄭さんは、野菜市場で飲み物を売るなどで、何とか生計を立てていた。1996年ごろになり、婦女救援基金会が鄭さんの支援や、一生の紹介を始めた。馬英九総統も、彼女を何度か、総統府に招いた。

 鄭さんは、日本を恨んでいると公言し、日本政府に謝罪を求め続けていた。
ただし、恋仲になった看護長については「本当に君子だった。あの人のお嫁さんになりたかった。私が母のことを思って台湾に戻ってしまったので、縁がなくなった」、「日本人でもよい人はいる」と話していた。鄭さんは台湾では「小桃阿〓(桃おばあちゃん)」との通称で知られていた。(〓は女へんに「麼」)(編集担当:如月隼人)(写真は中央通訊社の21日付報道の画面キャプチャー)


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