そこに描かれているのは、活き活きとした“記録”だ。

娘の2歳から6歳までの4年間の成長を描いた、父の手による、「絵日記」。
それが、一冊の書籍としてまとめられた。
高度難聴の娘と4年間対話した父の「宿題」 絵日記で紡がれる家族の情景
「宿題の絵日記帳」今井信吾(リトルモア刊)

タイトルは、『宿題の絵日記帳』。なぜ「宿題の」なのか。それは、絵日記が保護者への宿題だったから。

生まれつき高度難聴だった娘が通う聾(ろう)話学校。ここでは手話ではなく口話でのコミュニケーションを身につけていくための教育が行われる。
その聾話学校で、子供と先生の会話の練習をするための補助のため各家庭に出されたのが、家庭での様子を記した絵日記だ。


自然と「宿題」を担当した画家の父


父で著者の今井信吾さんは、画家である。
<本来は母親または子ども本人が描くのだけれど、我家では自然と私に御鉢が回ってきて>
と、著書のまえがきにはある。自らは<安直な走り書きの、マンガチックなものにすぎないが>と記しているが、その表情、動き、一瞬一瞬を切り取るスケッチの数々、そしてそこに添えられる短い文章。それは写真よりもくっきりと、この時期の「今井家」の様子を伝えてくれる気がする。
高度難聴の娘と4年間対話した父の「宿題」 絵日記で紡がれる家族の情景
6月14日。パパとお姉ちゃんが描いてくれた塗り絵に、色を塗るうららちゃん(「宿題の絵日記帳」より)

絵日記帳の中で、麗さんが少しずつ言葉や声を獲得していく様子も描かれているが、食事をする様子、お風呂、幼稚園で遊んでいる様子、いたずらして怒られたり、バレエを踊ったり、高度難聴の娘の記録という特別な意識は薄い。そこに紡がれているのは、あるひとつの家族の、あたたかな日常の情景の数々だ。


絵日記が描かれたのは、今から約30年前。
「姉(※本書に登場する麗さんのお姉さん)の方は、自分の作品として油絵に描いたりしていましたが、麗の方は、そのような作品を描く前のもの、絵日記は別という考えがありました」
と、今井信吾さんは当時を振り返る。

奥さんからは、絵日記に関しては、
「時間に遅れても、必ず書くようにと。内容に関しては、特に感想はなかったと思います」
とのこと。
絵日記を書いた4年間については、
「すべてが過ぎ去っていく日々、という感じでした」

絵日記を通じて、麗さんと「対話」できた実感はあっただろうか。
「描いたものを見せて反応を見るということはありました。
そのため、なるべく分かりやすく描こうという気持ちはありました」

数十冊におよぶスケッチは、一冊の書籍としてまとまった。
「スケッチの印象は変わりませんが、文字が活字になりとても読みやすくなることで、どこか客観的に見える、そんな印象を受けました」
特にお気に入りの絵は、「おおきなかぶ」の絵本を読んでいるところの絵だという。
高度難聴の娘と4年間対話した父の「宿題」 絵日記で紡がれる家族の情景
12月8日。今井信吾さんお気に入りだという、大好きな絵本「おおきなかぶ」をママと読むうららちゃん。うららちゃんも大きな声を出して読んでいる(「宿題の絵日記帳」より)


自身の子育てに重ね合わさって見えた絵日記


この絵日記帳で日々描かれていた、「主人公」でもある今井麗さん。お父さんが家で絵を描いたりする姿は覚えているが、絵日記を描かれていたことは、「正直あまり覚えていないんです」とのことだった。

今回の書籍を手にして、現在4歳の娘を持つ麗さん自身と、当時の父の姿が重ね合わされることもあった。
「現在、娘に日々振り回されている私と同じく、私に手を焼いていた両親の姿が描かれていることに、思わず笑ってしまいます。
天真爛漫だけどひどく頑固、思った通りに事が進まないとへそを曲げる子供だったと思います」

当時の絵日記が、書籍化に至ったきっかけは、今井さんの実家で開かれる、恒例の忘年会で来客とともに読み返してみたことだった。
「面白おかしく読み返し、これを身内だけにとどめるのはもったいないと思いました。本に出てくる、小さな私の頑固な場面、ヒステリックな場面、いたずらな場面の表情の描き方には何度見ても笑わされてしまいます。幼い私が急な環境の変化に戸惑いつつも、がんばって適応しようとしている姿に、いまだにもらい泣きしてしまいます。私たち姉妹と同じく昭和後期に幼少期を過ごした世代は、今、同じように子育てに奮闘中の方もたくさんいらっしゃいます。『宿題の絵日記帳』を読んでもらい、共通の記憶を懐かしみ、親も自分たち同様に、私たちを育てるのに必死な時代もあったのだと面白おかしく感じてもらえたらと思います」

また、手話以外に「口話」という手段が存在することも知ってもらえたらうれしいと、麗さんは言う。

「人工内耳の技術が発達してきた現在は、聞こえ方も進んでいます。今はインターネットやSNSも発達し、耳が聞こえなくても目で情報を収集し、会話をするように気軽に文字でコミュニケーションがとれる。さまざまなコミュニケーションツールを自由に選択できる時代になっています。SNSも字幕放送もない、そんな時代を過ごした“うららちゃん”が、口話を通して人とお話をしよう、関わろうとあがいて奮闘していた姿を見て、対話することの愛おしさを感じてもらえたらうれしいです」

現在、麗さんは画家として活躍。角田光代『曾根崎心中』や植本一子『かなわない』といった人気の作品の挿画も担当している。父と同じく絵を描く仕事を選んだのは、やはり生まれ育った環境の影響が大きいだろうか。

「居間の床にまで画材や資料が散乱しているような家だったので、筆を手にとることは自然なことでした。また、難聴であることで、中学のころから『手に職を!』という気持ちも強く、得意なこと、夢中になれることを突き詰めたときに、私には絵しかありませんでした」

父・信吾さんがボールペンで一気に描いた筆致にも注目してほしいと麗さんは言う。
「『宿題の絵日記帳』で、父がボールペンで一気に描いた走り描き。私も絵を描くとき、父に『消しゴムに頼るな、描き直すな』とうるさく言われ、私も一発で決めることを心掛けるようになった。そんなところにも注目していただけるとまた、面白く読んでいただけるのではないかと思います」

4年間の、ぎゅっと詰め込まれた、あたたかさややさしさ。そんな、“記録”だ。
(太田サトル)