ライター・編集者の飯田一史さんと、『シン・ゴジラ論』を刊行したSF・文芸評論家の藤田直哉さんによる、話題の作品をランダムに取り上げて時評する文化放談。今回は『中間管理録トネガワ』について語り合います。


「このマンガがすごい!」はスピンオフが強すぎる
『カイジ』と『トネガワ』の違いは90年代と2010年代で変化したリアリティ反映?

飯田 『中間管理録トネガワ』(協力:福本伸行、原作:萩原天晴、漫画:根本智弘、三好智樹)は福本伸行先生の『カイジ』シリーズのスピンオフで、チーフアシスタントを務めたスタッフの手による快作。
『カイジ』の第一シリーズに登場する中ボス的存在のトネガワが、実は兵藤率いる極悪な帝愛グループの中では中間管理職にすぎず、間の抜けた黒服たちをなんとかまとめつつ、癇癪持ちのボケ老人である兵藤に取り入ろうとして失敗したりしつつがんばるという、『カイジ』の公式パロディ的な作品。

藤田 あの『カイジ』のスピンオフが、なんと「このマンガがすごい!2017年」のオトコ編1位に……。

飯田 福本マンガではほかに『アカギ』『天』のスピンオフである『ワシズ』『HERO』があります。『ワシズ』もワシズ様がコンクリート詰めにされてヌリカベみたいな状態になったまま麻雀したりとかなかなかぶっ飛んだ内容なのですが基本的にはワシズが戦後史を暗躍しながらのしあがっていくさまを描いていて(白州次郎とか吉田栄作とかと接触しているw)、基本シリアスだった。『HERO』は『アカギ』『天』の続編みたいな話なのでノリはやはりシリアス。スピンオフで明確に笑いを取りに行ってるのは初ですね。


藤田 前々から思っていたんですが、「このマンガがすごい!」は、二次創作的な作品が一位になりすぎでは…… 『PLUTO』『ブラック・ジャック創作秘話』、そして『トネガワ』……

飯田 読者も投票者もマンガ読みであることを前提にした投票だからそうなりがちってことなんですかね。

藤田 ミュージシャンズミュージシャン的傾向は、どうしてもでてしまう感じはしますね。『バクマン。』も含め。

中間管理職、サラリーマンあるあるすぎる


飯田 青年誌に載ってるサラリーマンギャグマンガをひねったものとしても読めるし(福本マンガの絵柄とノリでやった『山口六平太』というか『釣りバカ日誌』というか)、さらには自己啓発本への茶化しでもある作品。
 これを発案したアイデアの勝利であると同時に、許可した福本先生がすごい。

藤田 中間管理職の話が、サブカルチャーで流行ってくるタイミングでもあるのでしょうね。
ファンの年齢や地位も上がって…… 『ローグワン』と同じ現象ですね。日常系お仕事マンガでもある、とw

飯田 いやいや、『課長島耕作』という作品があってだなw

藤田 あれは立身出世モノ、ビルドゥングス・ロマンだから、ぼくの分類では少年漫画と同じ。出世がないまま板挟みの苦労が延々続くというトネガワは、ちょっと世知辛いw

飯田 あのあとトネガワが失脚するのをわれわれは知ってるからね……w
『トネガワ』を読んでから『カイジ』を読み返すと、おっかないサイボーグみたいに見えていた黒服が実はボンクラたちの集まりであり、トネガワもだいぶ虚勢張って一生懸命だったんだなということがよくわかる(だからカイジに負けたのでは……という気も)。
 黒服がパワポ使っていかにもリーマンの営業とか企画提案っぽいプレゼンをするくだりが僕は好きですね。あと帝愛グループには普通に就活して入ってくるっていうのがうけた。ヤクザとは違うんだなあと。

 上司の目が届かないところだと思って調子に乗って新幹線で酒飲みまくるとか、会社で飲み会をそれとなくやってもらおうとするとかサラリーマンあるあるすぎる。

藤田 限定ジャンケンの箱の中に黒服が入って、人力で数えていたと知ると、涙無くしてはカイジも読み返せなくなりますね……
 あと一巻の、部下の心を掌握してプロジェクトを成功させようとするエピソードが、やっぱり何度読み返しても面白くて。土下座用の鉄板でバーベキューするところが最高です。会議をうまくいかせたり、部下を管理するために、ビジネス書を読んで勉強しているところも実に涙ぐましい。

飯田 中間管理職の話というのもこの作品を作画しているのが福本先生のアシスタントのなかのチーフポジションにいた作家ということを考えるとこう、メタファーとして読むのはどうかなと思いつつ、作家の苦労がしのばれる気がしないでもないですね……。

福本マンガの文法をどう活かすか?


藤田 「ざわ」とか、カイジで鉄板で使われる擬音の文脈を変えた転用が、やっぱり笑ってしまうw

飯田 ただ単にキャラを使ったスピンオフじゃなくて、福本マンガが小津映画並みに数々の文法・技法がある様式美の世界になっていて、それをまるごと持ち込んで笑わせるために使い倒しているからおもしろい。
「まゆ毛の角度で兵藤の機嫌がわかる」みたいなネタがあるんですが、それって作画の技術論じゃないですか。
そういうのを福本マンガのスタッフだった人たちがネタに使うのがずるいw
 福本マンガがネットでさんざんネタにされてきたことを踏まえてSNS映えする/シェアしたくなるネタを連発しているのが今っぽいなと。公式が(おそらくは当初作家が意図したものとは違う)世間での消費のされ方、楽しまれ方を取り込んでいる。

藤田 アスキーアートで散々みましたよね…… カイジの「ネタ」化は。
 しかし、ぼくは擁護しておきますが、原作よりこちら面白いというのは、ないと思う。マンネリと言われているワンポーカー編ですが、ひたすら相手の心の裏を読んで疑心暗鬼になるというだけの展開で、延々持たせる心理描写やスリルは相当なものだな、と思いましたよ。やはり原作の方に風格の違いがある。
本当に凄いですよ。すっごいミニマルに、賭け事の本質の部分、心理戦の部分に特化して漫画にしてて、恐るべき作家だなと思いました。

飯田 『ドラゴンボール超』も公式で『ドラゴンボール』のパロディやってるような作品だけど、あれって素直に『ドラゴンボール』の続編つくろうとするとまた「誰が最強か」という話になって似たような展開をくりかえさなきゃいけなくなるからおふざけ路線にいっているのかなと思っていて。『トネガワ』もそれと近いのかなと。
『トネガワ』は福本先生ご自身の作品ではないけど、バトル、ギャンブル、駆け引きとどんでん返しを極北まで突き詰めた『カイジ』等々と同じ路線で行ったら地獄になるし勝てないということもあって、いい感じでいける道を見つけたのではと思う。帝愛グループの人間らしいエグい話をしようにも『カイジ』の和也編でちょっとやっちゃってるし、『ウシジマくん』みたいになってもそれはそれでどうなんだろうという話だから。

 あとはタイミングですよね。90年代でも2000年代でもやるには早すぎたと思う。『最強伝説・黒沢』で福本先生自身が笑える作品を描いていたからこそファンも許したという気もする。

藤田 『黒沢』は、めっちゃ泣ける話じゃないですか…… ウンコを投げて戦うところとか、涙無くしては読めないですよ。

飯田 泣けるけど、居酒屋で軟骨の唐揚げで白米カッくらうところとか、交通整理の人形を親友扱いするとかは笑っちゃうよw

『カイジ』と『トネガワ』の違いは90年代と2010年代の違い!?


飯田 96年にスタートした『カイジ』は90年代中盤~後半の殺伐とした空気(オウム、阪神大震災、援助交際ブーム、酒鬼薔薇事件等々)を背負っていたけど、『トネガワ』はレイドバックしているというかゆるいというか。
 余談ながら兵藤が「タイトなジーンズだのねじこむだの」とか言ったり(BOAかよ)「退屈…!」って言ったすぐあとの「ブンブンだのハローユーチューブだの」とか言ったり(ヒカキンかよ)、初期『カイジ』は一応90年代が舞台のはずなんだけど、まあ、いいのか……。
『カイジ』って「惰性で生きてすぐ目先の欲に呑まれるクズどもよ目を覚ませ、立ち上がれ、命を懸けろ」って言ってるマンガなんだけど(それは基本、今でも変わらない)、でも『トネガワ』は「クズでもなんとかなる。おそろしいように見えている世界はちょっと違う視点で見てみると意外とお茶目だぞ」っていう話なので、メッセージとしては真逆かなと。

藤田 そうですね、恐ろしい敵や集団の内部を知ると、意外と人間らしいことを知っていくという話でもありますよね

飯田 『トネガワ』に出てくるマルチに引っかかる情弱とか、借金漬けのクズのどうしようもない生態の話とか妙にリアルだけど、そこで「だからお前らはダメ‥‥! 圧倒的にダメ‥‥!」って言うのが『カイジ』で、ユーモアで処理するのが『トネガワ』。

藤田 「ダメ」がデフォルトで、もはや危機感も失せたという時代の差なのか……。
「だからお前らはダメなんだ」って言われて奮起したところでどうもならないよ感が、『カイジ』見てるとありますしね……(笑)
 あれは、もはや「勝負」のジャンキーみたいなもんですよ。戦争に中毒になる人と同じ。あれはクズとかじゃなくて、あれはあれでもう完結した幸せなんだろうな、っていうのをカイジには感じます。

飯田 カイジがエスポワール乗るときの最初の借金って、300万円代じゃない。だけど大学生でいま奨学金それ以上に借りてるひとめっちゃ増えてるから、みんなエスポワール送られる時代とも言えるわけで(中村淳彦『女子大生風俗嬢』とかで書かれているように、学費稼ぐのも返すのも必死だし)、10代~30代の若いひとたちには「がんばらないと終わりだよお前ら」と言うより「ちょっと肩の力抜け」と言うほうが求められている時代な気もする。

藤田 ぼく、それより遥かに多い奨学金ありましたよw(今もある)

飯田 いま必要なのは『カイジ』的な「一発逆転を狙うこと」じゃなくて「適当に死なないていどにのらりくらいやること」と解釈することもできるのでは。まあ、トネガワはあのあと悲惨な目に遭っちゃうけど……。

藤田 一発逆転を狙ったり、巨大な敵(帝愛グループ)に挑戦することのリアリティが失せたんでしょうかねぇ。なんとか適当にやって生きよう、中間管理職で理不尽に遭うけどユーモアで耐えよう、というのは、それと逆ですからね。確かに対になっていますね。

飯田 巨大権力に見えていたジジイも一歩引いて見ればただのすぐ寝るおじいちゃん、っていう描き方だからね。相対化がすごいw 『カイジ』のスピンオフだけど、メッセージ的には反対でしょう。