ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。6秒動画サービス「vine」で有名になった大関れいかを取り上げます。


6秒動画「vine」の女王・大関れいかが嫌われない理由

vineは揺らすといい!


飯田 大関れいかは「vineの女王」とメディアで言われている、有名なviner。女子高生のときに有名になり、専門学校に通う今も頻度は減ったものの投稿を続けています。テンションの高さしかない。照れが一切ない。振り切れてる。それがまあ、いいんでしょうね。
「日本の若者ってどんなん?」って外国人に聞かれたら一例として挙げたいものではある。
彼女自体は稀有だけど、あるあるネタで描かれている連中はたしかに「いるわあ」って思わせられる。誇張されてるけどね。

藤田 YouTuberと違って、観るべき「代表作」みたいなのが決まっているわけでもないんですね。それがvinerらしいと言えばvinerらしいということなのでしょうか?

飯田 vinerはひとつの「代表作」があるというより、「代表的なシリーズ」がある。シチュエーション設定と高校生らしい「あるあるなキャラ」の設定を使った得意パターンがいくつかある。「お母さんと子ども」とか「小学生・中学生・高校生」とか。
叫びながらあるある、変顔、モノマネ……といったところですかね。



藤田 あまり激しくない吉田戦車的な方向に行かない、ほんわかした笑いの範囲の四コママンガのような作品が多いですね。実写で簡単に日常系四コママンガのような動画を作っている人のような印象を受けます。こういう面白い女子いそう、って感じがします。

飯田 瞬発力もあるけどわりと編集している。対話を演出するときはちゃんと左向きと右向きでしゃべらせるという基本的なことはやっているし、vineというループ視聴を前提にした動画メディアのリズム感で編集されている。
だから、YouTubeでまとめ動画を見ても早すぎてよくわからない。繰り返し観てわかるおもしろさ。多いときは6秒動画なのに1秒に1カット以上割ってるからね。
 画面が揺れることからわかるように、昔は片手でスマホを持って撮っていた。今は明らかに撮影者が本人とは別にいてカメラ固定して撮る人がいるものもあるけど。ただ、セルフィー的な撮り方をしていたときのほうが、勢いは出ていた。
カメラが揺れまくるのも特徴的で、わざと揺らしている時もある。大声を出すときはだいたい揺らしている。



藤田 vineは揺さぶるといいんですよ。動画のフレームレートの関係なのか、スマホのサイズ感なのかわかりませんが、ぼくも野良vinerとしてカメラ揺さぶりまくってますよ。揺さぶるといい絵が撮れるんですよ。まぁ、自己満足ですが(笑)ぼく、昔、911以後のハリウッド映画論を書いたとき、特徴に「手ブレの臨場感」って書いたけど、戦場やテロの攻撃のリアリティじゃなくても、家で女子高生が揺れているだけでも臨場感でますねぇ。


飯田 そうだね。映画監督の佐々木友輔さんが揺れるカメラ、手持ちカメラについて「揺動メディア論」という観点を打ち出していたけど、vineはまさに揺動メディアだ。表現したい感情に合わせて揺れる。

藤田 ただ、戦場の身体性というよりは、この子のテンションそのものが、手持ちだから、撮影者であるカメラの揺れと、被撮影者である演者の両方から通じてくる仕組みになっていますよね。それは面白いですよね。……ビデオカメラが出たばかりの頃とかだったら、女性が自分で自分を撮影するセルフポートレイトのような作品が「アート作品」として作られたり発表されてたりしましたが、そのことから考えると、なかなか感慨深いものがあります。


飯田 うん。「芸」や「作品」と言えるのかすらわからない6秒動画でスターになるってやっぱすごい。人生のなかでも一瞬しかできない輝きがある。5年後に見てもキツイと思うし。

藤田 あまりに顔に接写しすぎてブサイクになるのも気にしないっていうカメラの使い方は、若いときの方が思い切っていますね。最近のものの方が、もうちょっと気を使っている。



飯田 そうっすね。最近はメスのにおいがしますからね。むかしはそこを捨てているところも含めてのおもしろさだった。それはもちろん大学生になって色気づいたこともあるだろうし、今はほくぴーっていうvinerが彼氏らしいけど、男ができたこともあるのかもしれない。なんで彼女がここまで有名になったのかを考えるに、もちろん男であれをやっていてもうけたとは思うけど(男がやりそうなことだし)、女子だったからこそのギャップも含めてのバズだった気がする。

大関れいかの時代性


飯田 SEALDsも大関れいかも同時代の若者文化であるという現実をどう受け止めればいいのか。息を吸うようにネットを使っている、顔出し全然気にしないという共通点はあるとはいえ。ネットが顔出ししないどころか匿名が当然だった&テキストメディアだった時代の人間からすると、高校生が顔出しして人気になるとかって本当に隔世の感がある。
 スマホ普及によって本当に画像、動画時代になったなと思う。顔出し当たり前だし。雑誌、紙媒体でうまく使えるかといえばこの才能は活きないと思うし。紙のほうが古い、この新しさに対応できないってことですけど。
 リア充JKをネタにするようなバカにするようなJKポジションとして90年代にはしまおまほのマンガ(女子高生ゴリ子)があったけど10年代は大関れいかのvineだったのかなと。

藤田 テンション高い女子の、ふざけている「ポートレイト」というかなんというか。とにかく、これまでの映像の世界では、あまり観る機会のないものであったことは確かでしょうね。その新鮮さは確かにありますね。

飯田 しかもvinerはアイドルみたいに集団じゃない、ピンのタレントとして成立してるわけでしょ。セルフプロデュース。「バックグラウンドを知っているとより楽しめる」というものでもない。「文脈読み」みたいなものが成立しにくいから、批評的、文化的には貧しく見えるんだけど。YouTuberには何本も観ていくとパーソナリティが気になってくる、人物消費的になってくるところがあるけど、大関れいかのvineをいくら見ても、この人が何者なのか、動機は何かは見えてこない。まあTwitterなりを見れば多少はわかるけど、それがわかったところで投稿されたvine動画のおもしろさはさほど変わらない。背景や文脈をセットにして売り物にしているコンテンツだらけの世の中で、vinerって特殊だなと思う。だから語りにくい。

藤田 vine出たとき面白いからぼくも使い始めたけど、6秒動画で何ができるんだろう、ってなって、結局記録用にしか使わなくなっちゃった。けど、こういうやり方をすることで、このメディアが生きるのか……って、ちょっと感銘受けていますね。

飯田 「おもしろいの好きでしょ?」みたいな純粋さがいいんだと思う。本人に野心がどのくらいあったのかわからないけど。おもしろい、でも、だからなんなんだと言われると何もない。何もないから気楽に見られる。短いし。

藤田 純粋さは感じますね。もうただ、やりたいって感じ。勢いが溢れている。
女子高生とは言え、安易に想像されるようなエロやかわいさで人気になったわけではなさそうなのがいいですね。ネタも、勢いだけで突っ切るというか、時々実にシュールなのが挟まるのがいいですね。シュールさと勢いがあり、ループするから、またそれがおかしい。スピード感に関しては、『シン・ゴジラ』並(?)、いや、?、しかし、高速喋り、ツッコミの流れにあることは確かですね。

飯田 うん。「体を張る」というより「顔を張る」のがvineで、とにかく目、口、鼻を大きくするテンション芸。

藤田 顔芸もうまいと思いますよ。声の作り方とかも。「彼氏と友達」シリーズとか、「小中高」シリーズとかは、その演技の差がくっきり見える。これは才能でしょうなぁ……



飯田 大関れいかはいろんなタイプの人間をいじってはいるけど、無邪気におもしろがっているだけで、本気で攻撃的なところがないんですよ。はじめしゃちょーもヒカキンもそうだけど。バズは引き起こすが、負の感情はまき散らさない。だから広告ビジネスと結びつけられる、タレントとして扱える。
 最近、小中学生にも出川哲朗が人気らしいけど、性格よさそうでかつ性的に無害そう、関心を奪いもしないし襲いもしなそうというのは広範な層に嫌われない、嫉妬をよびおこさないために重要になっているのではと思った。ある時期以降のマツコデラックスもそうだし。
 テンション芸と無害さの同居というのが、彼女の好感度につながっている気がする。

藤田 彼女は、TVなどにも出ているようなんだけど、どうなんだろう。自分で撮影や編集、構成などもやって、自分の魅力が生きるように新しいメディアに最適化して行くのもアリなような気が。一回、短編映画とか長編映画とか作ってみてほしいですね。

飯田 ネタを考える才能も必要だし、演じきる才能も必要だし、撮影や編集テクニックも必要だし、簡単そうに見えるかもしれないけどひとりで全部やれる才能はなかなかいないからね。『ほしのこえ』までの新海誠みたいなもんですからね、ある意味。

vineはアートになったりアーカイヴされたり回顧されるようになるか?


藤田 ただあるいは……飯田さんが仰ったように、若いある時期特有のテンションがスマホ、ネット、vineにうまくぶつかった幸運(作り手にとっても、鑑賞者にとっても)の産物なのかもしれませんね。

飯田 だとしても、2010年代なかばのユースカルチャーを考えるうえでは外せない存在でしょう。ただサイクルが早すぎてもはや今ホットトピックという時期ではなくなっているけど、無視するのも難しい。

藤田 動画文化、ネット文化を語るうえで、確かに重要な存在でしょうね。ただ、確かにサイクルが早すぎる。どうしたものなんでしょうね。あるメディアやテクノロジーが、新しい領域の可能性を広げて、色々な人たちが大量に色々なことを試して、ヒットする人がいて、可能性を食い尽くして次々と進んでいく。……そういうものだとはいえ、なんか、早いですよね、この勢い。

飯田 かつての暴走族文化みたいなものとしてのCGM、というのもあるかもね。「若いころはやんちゃやってたんすよ」的な。「(1年とか2年で)卒業して今は普通の人生送ってます」と。とくに「作品」というより自分を切り売りする、芸としてやっているようなケースの動画投稿者では、普通にありそう。

藤田 一人の表現者として見た時に、ぼくはその人が一生表現をなんとか続けて、面白いものや凄いものを作ってくれないかと余計なお世話な心配や期待をしてしまうのですが、まぁそういうものでもないのでしょうねぇ。

飯田 で、子育て一段落して時間ができたらまた始めると。それはそれでおもしろそうだ!

藤田 守りに入らないで、攻めて欲しいですねw
あるいは、よく画家の年齢別に「白の時代」「青の時代」とかがあるように、「手振れの時代」「メスの時代」「円熟の時代」とか、作家論的に語れるようになっていくかもw

飯田 ばあちゃんになったときに、半生を振り返るように編集されて2時間映画とかになったらけっこう感動するんじゃないか。

藤田 低俗な文化として扱われたものがメインカルチャーやハイカルチャーに変わっていくかもしれない、という、文化・芸術の歴史を考慮するならば、大関れいかさんが一生作品を作り続けたら、日曜美術館とかで、大真面目にそうやって解説されてありがたい作品みたいに扱われるかもしれないw

飯田 vineはどうやったらアートになるのかな。シンディ・シャーマンみたいな女性に向けられる視線を批評性をもって体現させるとか、デレク・ジャーマンみたいな画面にすればいいのか……。

藤田 それなりのキュレーターが認めて、ギャラリーなり美術館の中で扱えば、まぁアートになる。とはいえ、権威に認められなくても、広い意味でのアートというのはありますからね。そういう条件は確かに満たしているかもしれません。ある時期の、ある時代の、ある環境のみが生み出し得た特殊な作品、という枠組みで考えたら、結構重要なものなような気がするんですけどね。現状、ネットにあるものは、今のところ蒐集して保存しなくてもなくならないから、美術館なり博物館なりが動く必要のあるものではないでしょうが。

飯田 芸術になるかはともかく、20年後とかに絶対YouTuberやvinerについてのドキュメンタリーがつくられるとは思うんだよね。歴史化はされるでしょう、どう考えても。
あとは西海岸のギャングスタラップの雄N.W.Aの台頭と分裂を描いた『ストレイト・アウタ・コンプトン』のUUUM版みたいな劇映画がつくられたりとか……。

藤田 未来から観ると、これらの作品はどのように見えるのか、楽しみですね。

飯田 そういう視点でも観てみてください! おわり