東京には、台東区鶯谷、渋谷区円山町といった「ラブホテル」密集スポットがある。地方都市でも、高速道路を車で走っていたら、やたらラブホテルがある一角を見かけたりする。
1人で街を歩いていて、ラブホテル街にうっかり入り込んでしまった時は妙に気恥ずかしい。別に、そのような場所に行くのは恥ずかしいこと、というわけではないのだが。つい下を向いて、早足で歩いてしまう。

さて、全国各地にラブホテル街は存在しているわけだが、なぜあのような密集地帯を形成しているのかは謎である。昔は遊郭だった地域なのだろうか? 国の規定で建てられる場所が限られているのだろうか? なんとなく、街の歴史や法律が関わっている気がする。私は「ラブホテル密集の謎」を解明すべく、ラブホテルに関する書籍から色々調べてみることにした。


都心のラブホテル街は、戦後の「連れ込み旅館」がルーツ?
書籍『性愛空間の文化史 「連れ込み宿」から「ラブホ」まで』(金益見著) によると、昭和初期、大阪で登場したラブホテルの前身のような宿泊施設に「連れ込み旅館」というものがあるそうだ。連れ込み旅館とは、その名の通り、男性が女性を連れ込む(その逆も?) 宿泊施設のことである。連れ込み旅館は、富裕層向けの貸席(料金をとって時間決めで貸す座敷) である「待合茶屋」の、一般庶民版のようなものとして広まっていった。

連れ込み旅館は、別に“連れ込めます”という看板を掲げていたり、何か特別な建物だというわけではない。座敷が何部屋かあって、お風呂がついていて、料理も出る。なので通常の旅館と基本的には同じだ。
性的な行為をする目的での利用を容認・歓迎していて、男女2人連れの客が多く集まっている旅館全般を、庶民が「連れ込み旅館」と呼んでいたというわけである。

そして戦後、連れ込み旅館は爆発的に急増する。公娼制度廃止によって、売春宿は店を畳まなくてはならなくなり、続々と連れ込み旅館に転業したからである。また、当時は住宅環境もあまり整っていなかったので、お風呂もない狭い家に何人もの家族が住んでいた。そのせいか、家族の目につかず、お風呂にも入れるということで夫婦やカップルでの利用も多かったという。連れ込み旅館は、人の出入りが多い上野や新宿などに立ち並んでいた。
高度経済成長も手伝って、その数は爆発的に増えていく。こうして、現在のラブホテル街の原型ができていったのである。

鶯谷にも「連れ込み旅館」が進出
冒頭に書いたとおり、台東区鶯谷は、押しも押されぬ一大ラブホテル街である。鶯谷も、戦後の連れ込み旅館急増の影響を多大に受けた結果、現在の姿となったようだ。

『性愛空間の文化史』によると、鶯谷は元々インク屋や下駄屋など、別の商売をやっていた人が多かったそうなのだが、連れ込み旅館の繁盛ぶりをみて「なんか流行ってるからやってみよう」という理由で転業する店が増えていったそうである。当時、鶯谷には大きなキャバレーが2件あり、ホステスが同伴出勤の前に休憩で利用したり、退勤後に宿泊するなどして繁盛したという。
こうして鶯谷には多くの連れ込み旅館が立ち並ぶこととなった。

リニューアルでどんどん近代化。“ラブホテル”になった鶯谷の連れ込み旅館
連れ込み旅館急増で、一大ラブホ街の原型ができた戦後の鶯谷。しかし、当初はすべて木造の古めかしい建物だったという。しかし、建物の老朽化などリニューアルを重ねるたびに、どんどん近代的なホテルの形になって、ホテル名も漢字からカタカナや英語に変化していったそうだ。そもそもラブホテル業界には、古いものを守っていく、という感覚があまりないとのことで、改装する時は思いっきり新しくして、名前も変えて、まるで新しくできたかのようにするそうだ。
(現在では風営法による規定が厳しく、改装や建て替えも大変になっているようだが) こうして鶯谷は、東京を代表するラブホテル街になっていったのである。

円山町も連れ込み旅館がルーツ
一方の円山町も、東京を代表するラブホテル街だ。こちらも、鶯谷と同じような理由で形成されていったようだ。渋谷は元々料亭や旅館が多かった土地で、転業するのは難しくなかったという。また、書籍『ラブホテルの文化誌』(花田一彦著) には、「ダム建設のために廃村になった地域の人たちが、莫大な補償金を使ってホテル業を始めたのがルーツという話もある」と書いてあった。駅前の連れ込み旅館は区画整理でなくなったりして、円山町の一角に残った建物が、改装や建て替えを重ねてラブホテルになっていったそうだ。


高速道路のインター付近に集まっているラブホテルの発祥
地方の県道や高速道路などを車で走っていると、よくラブホテルが数件立ち並んでいるのを見かける。こちらも連れ込み旅館発祥かと思っていたが、こちらはどうやら「モーテル」というものがルーツになっているそうだ。モーテルとは、幹線道路沿いにある、自動車旅行者のための車庫付きホテルのことである。米国では日本のビジネスホテルのような存在で、ラブホテルとは性質がまったく違うものだった。

戦後の日本でも、マイカーとともモーテルが普及した。日本では、車で直接中に入れる「ワンルーム・ワンガレージ式」のモーテルが人気となり、高速道路沿いを中心に増えていく。モーテルは、車から出ないまま館内に入れて、人目につきにくいことからカップルの利用者が多かった。1986年には、横浜で「モーテル京浜」という、2人利用を基本としたカップル専用モーテルもオープン。郊外のラブホテルの元祖となっていった。

高速道路沿いのラブホテル、実はラブホテルではない?
こうして爆発的に増えたモーテルだが、人目に付きにくいという理由から犯罪が増えてしまう。1972年には風営法の取り締まりの対象となって、廃業したり規模を縮小したりする店舗が増えてきた。現在でも残っている店が、私たちがよく見かける「高速道路沿いのラブホ」というわけである。なので、私たちがラブホテルと認識している建物でも、家族で泊まれたり、アダルト番組が有料だったりするなど、営業形態はシティホテルと同じだということもある。

高速道路沿いはホテルが建てやすい
また、高速道路沿いは法律的にホテルが建てやすいという利点もある。インター近辺は車の走行音が激しく、住居地域に適さないため、都市計画が無指定になっていることがある。無指定だと建造物の種類による制限がなく、建造許可が降りやすくなるという。また、インター付近は構造的に監視をしやすいという、行政側の利点もあり、高速沿いにラブホテルが密集していることが多いとのことである。

ラブホ街に隠された、経済成長の歴史
以上、なぜラブホテルが密集しているかの理由に迫ってみた。ラブホテル街は経済の発展とともに発展し、度重なる取り締まりにも負けず存在し続けているのである。地方の寂れたラブホテル街にも、色々な町の歴史が隠れているはずだ。いかがわしい空気が漂う、なんだかな~と思う場所でも、少し調べてみると意外と面白い事実が隠されていることが多い。ネットを少し探すと、そんなディープスポットをまとめているサイトもたくさんある。私も今回、ラブホテル街について改めて調べてみたところ、興味深い事実をたくさん知ることができて、とても有益だった。

日常の新発見・再発見は楽しい。これからも、少しでも疑問に感じたものは、どんどん調べて書いていきたいと思った次第です。
(富下夏美)

【参考文献】
『性愛空間の文化史 「連れ込み宿」からラブホまで』 金益見著/ミネルヴァ書房
『ラブホテルの文化誌』 花田一彦著/現代書館