レオナルド・ディカプリオ主演、バズ・ラーマン監督の『華麗なるギャツビー』が公開され話題になっているが、実はその原作であるF.スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』が映画化されたのは今回で5回目だという。

「古くは1920年代に映画化されたものもあるんですよ、日本ではもう映像を入手することは困難ですが」

そう語ってくれたのは、日本フィッツジェラルド協会前会長、近頃『「グレート・ギャツビー」の世界 ダークブルーの夢』(青土社)を上梓された米文学者の宮脇俊文さんだ。


もはや世界的古典と言ってもいい『グレート・ギャツビー』は、一人の女性との恋を成就させるために、あらゆる手段を使って巨万の富を築き上げた男の切なくも悲しい物語だ。日本ではフランシス・コッポラ監督が脚本を手がけロバート・レッドフォードが主演した映画化が有名だが、数多ある文学作品の中なぜ『ギャツビー』だけがここまで映画化され続けるのだろうか。

「舞台となっている1920年代というのは未曾有の好景気にに見舞われ、アメリカ人が一番回帰したい思う時代なんです」

「その中ギャツビーは『過去の再現ができないわけないじゃないか』と迷いなく言います。失敗してもリセットしてやり直せるというのをイノセント(無垢)に信じているのです。その姿は経済最優先の中、失敗を繰り返しながらも進んで行く超資本主義国家のアメリカにとって希望の物語として魅力的に映るんだと思います。これからも折につけ映画化され続けると思いますよ」

レッドフォードの『ギャツビー』は1974年の公開だが、それはちょうどアメリカがベトナム戦争で国家としての自信を失いイノセンスを失ったと言われた頃だった。
911のテロ後、国家として迷走し続けて出口が見つからない現在また『ギャツビー』が公開されたのも無関係ではないかもしれない。

では今回の映画化の出来はどうなのだろうか?

「恥ずかしながら観終わった後、涙が止まりませんでした。賛否は分かれているようですが文芸作品、ましてや強い思い入れを持つ人の多い古典の映画化は大体失敗って言われてしまいます。でもバズ・ラーマン監督は相当読み込んで『ギャツビー』のエッセンスを実に理解してると思います」

ではこれから『ギャツビー』を観に行こうと思っている人は、映画を観る前に原作を読めばいいのでしょうか、それとも映画を観てから原作を読めばいいのでしょうか。

「2時間20分の映画で長編小説をすべて表現するというのは不可能です。小説から入ると物足りなくなってしまうかも知れません。
僕は映画を観て興味を持ったら原作を読めばいいと思います」

その上で、皆がもう少し文学に関心を持つようになってくれればと宮脇さんは語る。

「最近大学でも『TOEICの点数が』というような実用的な話ばかりが増えてきて、文学に代表されるような教養が軽視されています。でも社会の歪みや苦痛から人々を救うものこそが文学だと思うんです」

著書の『「グレート・ギャツビー」の世界』も、広く多くの方に文学に触れるきっかけになればという思いから記したと宮脇さんはいう。

「学者の中には『どうせキミたちにはわからないだろう』という態度の人がいますが、本来小説の解釈は読者の自由なんです。ただ古典の多くは1、2回読んだくらいではなかなか理解仕切れないものが多いものです。僕の本によって『こういう読み方があるんだ』と知ってもらって文学に興味を持ってもらえたら嬉しいですね」

現在『グレート・ギャツビー』の日本語訳は複数出ているが、村上春樹訳 小川高義訳が読み易く若い人にはいいのではないかと宮脇さんは勧める。


映画を観て面白いと思ったら原作を読み、さらに詳しく知りたいと思ったら宮脇さんの本などの解説本を手に取り、しばし文学の世界に浸ってみるのも悪くないかもしれない。
(鶴賀太郎)