いわずと知れたジャマイカ発祥の民族音楽「レゲエ」。“神様”ボブ・マーリーらの働きによって、1960年代頃より欧米を中心にさまざまな国へと拡散し、今や世界的なポピュラーミュージックの1つに数えられています。


レゲエはいつから日本に広まった?


我が国においても、昔からフォロワーは存在しました。古くは70年代後半、内田裕也率いるフラワー・トラベリン・バンドや『悲しい色やね』でお馴染みの上田正樹が、レゲエのエッセンスを自分たちの曲に取り入れています。しかし、ヒットチャートを賑わすまでには至っていません。
他にも幾人かのアーティストがレゲエに挑むも、やはり目立った実績はつくれませんでした。

そういった意味で、三木道三の登場は画期的でした。彼が2001年に発表したシングル『Lifetime Respect』は、これまでのジャパニーズ・レゲエシーンの常識を打ち破る規格外の大ヒットを記録。当時、「一生一緒にいてくれや~♪」の一節を、テレビ・ラジオ、飲食店などの有線放送で耳にタコができるほど聴いたものです。


戦国武将「斎藤道三」が芸名の由来


三木道三……。なんとも珍妙なアーティストネームです。もともとこの名前、戦国時代の武将「斎藤道三」から取っているのだとか。

三木は、1963年に発表された司馬遼太郎の歴史小説『国盗り物語』の大ファン。同作といえば、「国主になる」という狂人のような野望を持つ一介の油問屋が、権謀術数の果てに美濃国の王・斎藤道三になるまでを描いた一代記。大望を抱く男子であれば、本棚のいちばん目立つ位置に飾りたくなるような、ピカレスク・ロマンの傑作です。

おそらく三木は、一般的にまだ市民権を得ていない「レゲエ」で音楽シーンに風穴を開けるという難題へ挑戦する自分の姿を、夢へ邁進した“美濃の蝮”に重ね合わせたのでしょう。


累計売上約90万枚を記録した『Lifetime Respect』


1992年よりインディーズで活動を続けた三木は、苦節8年にしてシングル『斬る!ジャパニーズ」でメジャーデビュー。そして2001年5月23日、『Lifetime Respect』を発表します。

発売週のオリコンシングルランキングは23位。これだけでもレゲエ楽曲として十分すぎるほどの快挙なのですが、同曲は若者を中心に人気へ火が付き、それに伴ってヒットチャートも上昇。発売3週目にして、オリコントップ10入りし、発売5週目でついにレゲエ音楽史上初となるオリコン1位を獲得したのです。

その後もロングセラーを続けた『Lifetime Respect』は、最終的に累計売上約90万枚という記録的大ヒットを飛ばしたのでした。

今は「DOZAN11」へと改名


風雲児・三木道三の登場以降、2006年に『我流旋風』(MEGARYU)と『湘南乃風〜Riders High〜』(湘南乃風)の2枚のアルバムがオリコンチャート1位になるなど、国内のレゲエシーンはにわかに活気づいていきます。

しかし当の三木は、『Lifetime Respect』リリースの翌年に引退。その理由はなんと「寝たきりになったから」だそうです。

最近、テレビで告白していた内容によると、メジャーデビュー前の1995年、留学先のアメリカで交通事故により瀕死の重傷を負ったらしく、その時の後遺症に長らく悩まされていたのだとか。CDが売れてからも満身創痍の状態が続いたため、しばらく表舞台から姿を消していたのだといいます。

今ではなんとか回復したようで、2014年からは「DOZAN11」と改名し、今年は夏フェスに出演するなど精力的に活動していたという三木道三。“ジャパレゲ”の草分け的存在として、これからも、身体に気遣いながら歌い続けてもらいたいものです。

(こじへい)

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