今年もこの季節がやって来た。多くのプロ野球選手がユニフォームを脱ぐ秋。
華やかな引退セレモニーで送り出される者、夢半ばで挫折してトライアウトでの再起に賭ける者。

先日、ロッテ井口資仁の引退試合をテレビで観ながら、ふと思った。ロッテの6番……そう言えば、あの男の引退試合はどうだったかなと。昭和の終わり頃にロッテで背番号6をつけて大活躍した落合博満である。

落合博満が残した凄すぎる成績


なにせロッテ在籍時には、NPB最多の三度の三冠王を獲得。85年には打率.367、52本、146打点、OPS.1244、得点圏打率.492という凄まじい成績を残し、翌86年の出塁率.487はいまだにNPB歴代最高記録である(2位も85年落合で.4806)。
野球ゲーム『ファミスタ』のフーズフーズの「おちあい」は当時の子どもたちの間で「打ちすぎてズルイ」「給食のプチダノンを賭けた男と男の真剣勝負におちあい使う奴はチキン」となんだかよく分からないディスり方までされる規格外のスラッガーだった。


25歳の遅いプロ入りから、ミスター・オリオンズとまで呼ばれた男は86年オフに1対4の大型トレードで中日ドラゴンズへ移籍。すでに33歳だったが、両リーグ本塁打王に打点王とセ・リーグでも毎年のように打撃タイトル争いに顔を出し、オレ流調整法を巡り星野仙一監督との確執を煽られながら、88年にはリーグ優勝に貢献。

93年オフに長嶋巨人へFA移籍すると、あの伝説の10.8決戦では古巣中日相手に4番打者としてホームランを放つ勝負強さを見せた。だが、96年オフにFAでポジジョンが被る清原和博の加入に伴い「長嶋監督の困る顔は見たくない」と43歳にして退団。
翌97年からは2年契約年俸3億円の好条件で「日本ハムを日本一にします」と堂々と宣言して11年ぶりのパ・リーグでプレーすることになる。

静かに幕を閉じた現役生活


……さて、ここまでは多くのプロ野球ファンがよく知っているストーリーだと思う。だが、「日本ハムの落合」がどんな活躍をして、どのような引き際だったか覚えているファンは少ないのではないだろうか?
正直、自分もハムのオレ流背番号3は、97年オールスター戦の打席で始球式の広末涼子に超嬉しそうな笑顔を浮かべていた姿しか記憶にない。


落合博満の現役最後の打席は98年10月7日、当時の千葉マリンスタジアムのロッテ戦でのことだ。すでにメディアでは「落合引退」が報じられ、球団からは引退試合の開催を、上田利治監督からは指名打者での先発出場を打診されていた。
このロッテ戦で有終の一発を打てば、12球団すべてから本塁打の記録もあったが、自らそのすべての申し出を断りベンチスタート。

チームが1対4とリードされた5回表、代打で登場した落合は、最多勝が懸かっていたロッテのエース黒木和宏が投じた3球目のストレートを打って一塁ゴロに倒れる。代打でスタートしたプロ野球人生は、20年という時を経て同じ代打で幕を閉じた。
数々の記録を積み上げた男は、球場を後にする時、出待ちしていた何人かのファンから「お疲れさま」と握手を求められ、現役生活が終わったことを実感したという。


「自分のために優勝しよう」


引退試合は行われなかったが、チームメイトたちには落合らしいやり方で別れを告げていた。98年の日ハムは開幕ダッシュに成功し一時は2位に9.5差をつけたが、後半戦16勝35敗2分けと最大23あった貯金を食いつぶし失速。そんな9月のある試合終了後、ロッカールームにベンチ入りの全選手を集め、44歳の落合は「ひとつの負けくらいでジタバタせず、堂々と戦おう」と檄を飛ばす。そして、こう続けるのだ。

「俺は今年限りでこのチームからいなくなる。若い連中はまだまだ先が長いんだから、優勝の経験は絶対プラスになる。誰のためでもなく自分のために優勝しよう」

イメージチェンジを図った日本ハム時代


引退直後に出版された自著『野球人』(ベースボール・マガジン社)で告白しているが、日ハム移籍後の落合は意図的にその孤高のバットマンのイメージから脱却しようとしていた。

当時、注目されにくいパ・リーグでメディアの注目を集めるために、とにかくマスコミに向けて喋りまくったのである。のちの寡黙すぎる中日監督時代の姿からは考えられないサービスぶりだが、練習後に記者に自ら声を掛け、宿舎の玄関を即席会見場にして毎日のように感想を話し続ける天才バッターの姿。

しかし、開幕後は試合途中で交代させられることも増え、上田監督の野球観との違いに悩むことになる。球団側からしたら高額投資したベテランに怪我で長期離脱されたら困るし、落合からしたら長年のフル出場で築いたリズムがある。どちらも間違っているわけではない悲しきすれ違い。

この頃、落合は古い知人から「最近は、表情が優しくなってしまったわね」と指摘されたという。
25歳の遅すぎるプロ入りでそんな打撃フォームでは打てないなんて酷評され、三冠王を獲ってもパ・リーグはレベルが低いと言われ、年俸で揉めると金の亡者と叩かれ、移籍するとOBからは不要論が沸き起こる。

その度に「負けてなるものか」なんつって反逆精神で今の地位を築いた稀代のスラッガー。それが、日ハム移籍時にはリストラされた中年選手のような同情論がほとんどで、残りの野球人生を見守ってやろうという温かい空気が時に居心地よく感じてしまう。すべてのプロ野球選手は、打てなくて批判されるのではなく同情されたら引き際だ。

生涯打率.311、通算2371安打、510本、1564打点。そして、前人未到の三度の三冠王。
落合博満の怒りのデスロードを疾走し続けた現役生活は、その怒りの炎が消え、静かに終わりを告げたのである。


(参考資料)
『野球人』(落合博満/ベースボールマガジン社)