現在、不定期放送されている『究極の男は誰だ!?最強スポーツ男子頂上決戦』(TBS系)。同番組で最も多くチャンピオンになっているタレントと言えば、俳優の佐野岳とEXILEの関口メンディーです。
優勝回数は共に3回。抜群の実績であることは間違いありません。

しかし、前身番組にあたる『芸能人サバイバルバトル』では、さらに傑出した“絶対王者”が存在しました。なかやまきんに君、そしてケイン・コスギです。N0.1になった回数は共に5度。
特にケインは、サバイバルバトルの派生元である番組『筋肉番付』内において、「ケインの少林寺拳法修行シリーズ」が放送されるなど、かなりフューチャーされていたものです。


空手で獲得したトロフィーは176個!


1980年代のアメリカでニンジャ・ブームを巻き起こしたアクション俳優ショー・コスギ。その長男として1974年にロサンゼルスで生を受けたケインは、幼少の頃より、剣道・柔道・古武道・テコンドー・中国武術といった、ありとあらゆる武道に打ち込んでいたといいます。

中でも空手の実力は折り紙つきで、大小さまざまな大会で獲得したトロフィーの数は実に176個。さらに、アメフトやバスケ、器械体操といったジャンルの異なる競技でも活躍するという、スポーツ万能ぶりを早くから発揮しました。

NHK大河ドラマで日本デビュー


俳優としての活動は8歳の時から開始しており、父が主演するハリウッド映画『ニンジャII/修羅ノ章』に出演したのがきっかけ。以降、弟のシェイン・コスギと共に子役としていくつかの作品へ出演するうちに、「父のようなアクションスターになりたい」という想いが膨らんでいったといいます。

ハイスクールを卒業した後も想いは変わらず、父から「まずは日本で修行すべし」とのアドバイスを受け、一路、日本へとやってきたケイン。NHK大河ドラマ『琉球の風』にショー・コスギと共に出演してからも、日本へとどまり続け、皿洗いなどのバイトをしながら俳優として芽が出るチャンスをうかがっていました。


『筋肉番付』でブレイクしたケイン・コスギ


最初の転機となったのは、1993年に『ウルトラマンパワード』のウルトラマンパワード/ケンイチ・カイ隊員役と、1994年の『忍者戦隊カクレンジャー』のニンジャブラック/ジライヤ役への抜擢でしょう。特撮ヒーローものへ立て続けに起用されたことで、一躍、子供たちのアイドルとなります。

そしてケインが一躍有名になった番組といえば、先述の『筋肉番付』です。
筋肉自慢が集う同番組においても、長年アメリカで鍛え上げたケインの身体能力はズバ抜けており、中でも印象的だったのが、名物企画「モンスターボックス」での活躍ぶり。池谷直樹やビタリー・シェルボといった1流体操選手にも後れを取らない、世界2位タイとなる22段をクリアするという驚異の跳躍力を披露し、視聴者の度肝を抜いたものです。

主演映画『マッスルヒート』でノンスタントのアクションに挑戦


こうした活躍により、ケインは売れっ子タレントとなります。一時期は『ポンキッキーズ』や『英語であそぼ』などの子供向け番組にも進出し、『センチュリー21』や「ファイト!一発」でお馴染みの『リポビタンD』のテレビCMでも頻繁に見かけました。

2002年には、主演映画『マッスルヒート』が公開。
この作品、一言でいえばケインのアクションを観るためだけの映画。よくある設定・よくある展開のなか、ノンスタントでハードなアクションに臨んでいるケインの体術が、ひときわ輝いて見えるのです。

2007年以降、ハリウッド映画にも出演


2007年には『DOA/デッド・オア・アライブ』へ出演し、ついに念願だったハリウッド進出を達成。その後も『ローグ アサシン』(2007年)、『ニンジャ・アベンジャーズ』(2014年)と、決して本数は多くないものの、42歳となった今でも、着実に米国の映画界での仕事をこなしているようです。

いつの日かまた、『最強スポーツ男子頂上決戦』に出演し、現役王者たちと競ってもらいたいものです。
(こじへい)

※文中の画像はamazonよりケイン・コスギインマッスルヒート