「あっちのほうにいけへんかったら、すごい人やねんけどな~」

昔、松本人志が自身のラジオ番組で、島田紳助についてこう評していました。“あっちのほう”とは、株・土地をはじめとした芸事以外のすべて。

当時はまだ映画も撮っておらず、お笑いだけに専念していた松本にとって、紳助のマルチタスクっぷりは、笑いの才能を持て余しているようで歯がゆかったのでしょうか。

実際、紳助ほどお笑い以外のことに手広く取り組んだ芸人は存在しないはず。
自身がフロントマンをつとめたバンド「SHINSUKE-BAND」を結成したり、飲食店・賃貸マンションの経営に乗り出したり、アイドルのプロデュースをやったり……。

1985年、レーシングチーム「チーム・シンスケ」を結成


そんな、興味が沸いたら何でもやってみる男・紳助が熱中したことの一つに、オートバイのレーシングチームの監督があります。

チーム名はズバリ「チーム・シンスケ」。かねてより親交のあったベテランレーシングライダー・千石清一に活躍の場を提供し、80年代に一大ブームを巻き起こしていた「鈴鹿8時間耐久ロードレース」へ参戦することが発足当初の目的でした。

ガチの監督ぶりを見せた島田紳助


監督と言っても、知識も経験もないタレントをPR目的で起用するような“お飾りの監督”ではありません。
自ら作成した企画書片手にスポンサー集めに奔走し、レース本番ではライダーやスタッフを前に陣頭指揮を執るというガチの監督でした。


千石以外のメンバーは、紳助と高校時代に同級生だった「土建屋よしゆき」や消防士の「ファイヤーやっこ」など、全員レースに関してズブの素人でした。

しかし1986年、初エントリーした鈴鹿8耐では、予選14位の好成績をマーク(途中リタイヤ)。87年には予選落ちしますが、88年以降は安定した成績を残すようになります。

ドキュメンタリー小説『風よ、鈴鹿へ』を出版


このチーム立ち上げから鈴鹿8耐へ臨むまでの体験を、紳助は『風よ、鈴鹿へ』という一編のドキュメンタリー小説にしたためます。
お笑い芸人が、タレント本やエッセイを出版するのはよくあることですが、小説は極めて稀。それを、島田洋七の『がばいばあちゃん』やピース又吉の『火花』よりはるか前にやっていたのだから、やはり只者ではありません。

1988年に出版された小説は大ヒット。
同年にはTBSでドラマ化され、その主題歌用に紳助が作詞した同名楽曲までつくられました。

紳助初監督の映画『風、スローダウン』


「チーム・シンスケ」の物語化は、『風よ、鈴鹿へ』だけに留まりません。今度は『風よ、鈴鹿へ』をベースに、「島田紳助 初監督作品」と銘打たれた映画が作られます。

その名も『風、スローダウン』。1981年の映画『ガキ帝国』出演以来、縁がある井筒和幸監督を監修に迎えて制作されました。
同作は、プロのオートバイレーサーを目指すオサム(石田靖)が恋と友情、そして夢の狭間で揺れる、正統派な青春映画となっていました。

今見ると、青春色を前面に出し過ぎていてかなりクサい映画なのですが、そこもロマンチストな紳助らしさが出ていて一つの味となっています。
興味のある方はぜひ一度観てみるといいでしょう。

今も流れ続ける、島田紳助作詞の楽曲


ちなみに、チーム・シンスケのほうは、1996年で一度解散した後、2011年に東日本大震災の復興支援の意味も込めて、一度限りの復活を果たしています。その直後に芸能界引退を発表した紳助。

風よ鈴鹿へ 風よ鈴鹿へ♪
風よ優しく吹いてくれ♪
俺達の夢をのせて♪


今でも鈴鹿8耐のテーマソングとして、サーキットのどこかで流れているという、紳助作詞の楽曲『風よ、鈴鹿へ』。もう二度と表舞台に立つことはないであろう紳助の代わりに、この曲だけが彼がバイクにかけた情熱を表しているようです。
(こじへい)