ジャニーズに入った時点で勝ち組……。

そう思っていた時期が、筆者にもありました。

しかし、それは大きな間違い。現在、ジャニーズ事務所の下部組織であるジャニーズJr.の人数は300人。ピーク時は700人以上とも言われています。

もちろん、全員がデビューできるわけではありません。厳しい競争を勝ち抜き、ジュニアの中でも突出した存在になってはじめてデビュー、そして売れっ子になっていくのです。

本稿で紹介する小原裕貴は、間違いなく、そんな突出した輝きを放つジャニーズJr.の一人でした。


小原裕貴がドラマ復帰! かつてのジュニアファンは騒然


2017年6月26日。こんなニュースが届きました。

『ぼくらの勇気 未満都市2017』に小原裕貴出演!ーー

KinKi Kidsデビュー20周年プロジェクトの一環として、今年7月21日に放送予定の同作。2人のアニバーサリーを盛り上げるべく、嵐の相葉雅紀と松本潤が前作から引き続き登場するというのは、かねてより周知されていました。
が、ここにきてまさかのビッグサプライズ。なんと、同じくメインキャストの一人で、2000年に惜しまれつつも芸能界を引退していた伝説の元ジャニーズJr.・小原裕貴が、今回の新作公開にあたって一肌脱ぐというのです。

この一報に、かつてのジュニアファンたちは狂喜乱舞。
あの小原くんが帰ってくる……。期待感からかTwitterのトレンド欄上位には「小原裕貴」「小原くん」「会社員・小原裕貴さん」といったワードが相次いでランクイン。ちょっとした祭り状態になったのです。

90年代後半の「ジャニーズJr.黄金期」に頭角を現す


そんな、今やすっかり「小原さん」になっているであろう小原くんがジャニーズJr.となったのは、1991年1月25日のこと。当時弱冠10歳。
親戚の女性が履歴書を送付したから……という、よくあるパターンでジャニーズ事務所への入所を果たします。

彼が頭角を現し始めたのは90年代後半で、ちょうどその頃といえば、ジャニーズJr.の黄金期。

滝沢秀明・渋谷すばるをはじめとした逸材が相次いで登場したことにより、ジャニーズJrの認知度は一般レベルにまで浸透。

大勢の固定ファンを抱え、かつ、集客も十分に期待できる彼らのような一部人気のジュニアは、もはや「先輩のバックダンサー」程度のポジションには収まりきらず、一人の自立したスターとして扱われるようになっていました。

現嵐のメンバーらと共に出演した『8時だJ』


そんなジュニア黄金期を象徴する番組が、1998年4月15日から1999年9月22日にかけて毎週水曜夜8時に放送されていた『8時だJ』(テレビ朝日系)です。
ジャニーズJr.をメインとして扱った番組が、ゴールデンタイムのレギュラー枠で1年半もの間放送されたという事実は、空前にして絶後。いかに当時の彼らに勢いがあったか、分かるというものでしょう。

この番組において、小原はメインメンバーの一人として活躍。タッキーや現嵐のメンバーらとともに、MCのヒロミにいじられながら、毎回、さまざまなことにチャレンジしていたものです。


アイドル雑誌の人気ランキングでは、タッキーを凌ぐ人気だった


このように小原がテレビ番組でフューチャーされていたのは、その人気がとてつもない水準だったからに他なりません。
たとえば、アイドル雑誌『Myojo』の「恋人にしたいJr.」ランキングでは、1996年・1997年の2年連続で第1位。「一番美形なJr.」部門にいたっては、1995年から5年連続で1位を獲得するという、抜群の支持率を誇っていたのです。

群雄割拠のジュニア黄金期で、しかも絶対的人気を誇ったタッキーを差し置いて、これほどの実績を残したからこそ、彼は今もなお「伝説のジャニーズJr.」と呼ばれているのです。

学業優先を理由に20歳で引退した小原裕貴


しかし、将来ジャニーズを背負って立つ人材と目されながらも、2000年9月3日、当時20歳(大学2年)にして学業への専念を理由に、ジャニーズJr.脱退を表明。
2000年10月15日に開催された東京ドーム公演での卒業セレモニーを最後に、タレントしての活動を終了しています。なお、ジャニーズJr.を辞めるにあたった卒業セレモニーを行ったのは、後にも先にも小原一人だけだそうです。


現在36歳。噂によると博報堂勤務で妻子持ちという小原が、7月21日放送の『未満都市』でどんな演技を披露するのか……。ファンならずとも注目したいところでしょう。
(こじへい)