音楽史に燦然と輝く小室哲哉プロデュース作品たち。90年代から00年代前半に掛けての尋常ではないリリースラッシュの中には、人知れず埋もれていった名曲・迷曲も少なくない。


中には意外すぎる「小室ファミリー」もいるわけで……。

白竜『take a deep breath』(1999年11月25日発売)


コワモテ俳優の白竜も実は小室ファミリーの一員だ。99年11月にシングルCDを発売しているが、そもそもが歌手として芸能界デビューしていることをご存知だろうか?

俳優としての出世作は89年の北野武監督のデビュー作『その男、凶暴につき』。たけしと対峙する敵役をド迫力で演じて大きな注目を集め、その後はアウトロー役の第一人者として、数多くの映画で活躍。90年代を代表するカルチャー「Vシネマ」でも大いに存在感を発揮している。

一見、小室との接点がまったく感じられないのだが……。

小室哲哉は「内田裕也ファミリー」だった!?


TM NETWORKでメジャーデビュー以前、小室は様々な歌手のバックバンドを務めていた。当時はキーボード担当が少なかったため、バックバンド要員として小室は重宝されていたという。

特に、ジョー山中や安岡力也を始めとするいわゆる「内田裕也ファミリー」と懇意な関係にあり、白竜のバックバンドも務めていた。そう、駆け出し時代を支えてくれた恩返し的な意味でのプロデュースなのである。

この縁もあって、あの安岡力也の名曲(迷曲?) 『ホタテのロックンロール』のアレンジも担当している。『オレたちひょうきん族』内のコントで、安岡力也扮する「ホタテマン」がブレイク。その流れで1983年にリリースされたコミックソングだ。
30万枚超えの大ヒットを記録しており、ある意味、後に大ヒットを連発する小室作品の原点といえるかも知れない。


ちなみに、2002年に行われた小室とKEIKOの結婚披露宴(記事はこちら)では、内田裕也、安岡力也、白竜の3人が同じテーブルで仲良く門出を祝ったという。

佐々木主浩『break new ground』(2000年3月1日発売)


メジャーリーガーとしても活躍した佐々木主浩にも小室は楽曲を提供している。

98年夏、当時の佐々木が所属していた横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)のホーム、横浜スタジアムでglobeのライブが開催された。そのゲストとして佐々木が招待され、その場で小室が「横浜が優勝したら曲を作る」と約束を交わしたのがきっかけだ。

この年の佐々木は絶好調。歴代最多となる45セーブをマークしたこともあって、横浜は見事にセ・リーグ優勝を果たす。
日本シリーズも胴上げ投手として制覇し、「ハマの大魔神」の異名は、この年の新語・流行語大賞を受賞。小室との約束も現実のものとなったのだった。

その後、シアトル・マリナーズへの移籍が決まり、新天地に向かうはなむけとして小室が作ったシングルが『break new ground』という曲。「新境地を切り開け」「新記録を達成せよ」なんて意味合いが込められているのがにくい。

ガタイに似合わない控えめな歌声ながら堂々と歌い上げ、ここでも強心臓ぶりを発揮している佐々木だが、小室の結婚披露宴では乾杯の音頭を取った際に、緊張のあまりに挨拶の内容が飛んでしまい「忘れました!乾杯!」だったという珍エピソードが残っている。

義理堅く、友情に厚いのが小室哲哉という男の魅力。
女に弱すぎるのもまた魅力のひとつではあるが。

※イメージ画像はamazonより奮起力。―人間「佐々木主浩」から何を学ぶのか