映画やドラマなどの共演をきっかけに結婚した芸能人カップルは多い。最近では青木崇高&優香、DAIGO&北川景子などが筆頭だろうか。
意外な組み合わせに驚くことも少なくない。

記憶に強く残るのは市村正親と篠原涼子の結婚。年の差24歳と親子ほど年齢の離れた2人の異色の組み合わせに、当時は大いに驚いたものである。

出会いは舞台『ハムレット』での恋人役


市村と篠原の出会いは01年秋。蜷川幸雄演出の舞台『ハムレット』での共演がきっかけとなる。
アイドル→バラドル→アーティスト→女優と活躍のフィールドを移してきた篠原。小室哲哉プロデュースの『恋しさと せつなさと 心強さと』でダブルミリオンのメガヒットを飛ばしたのは遠い昔(記事はこちら)。

当時の露出はほぼ女優業となっていた。ただし、主要な役どころは少なく、ゲスト出演や準レギュラー的な役回りが多かった。

そんな篠原の転機となったのが、この舞台だ。脚本、演出、キャストを変えて何度となく再演されている蜷川版ハムレットだが、この時ハムレットを演じたのが市村、恋人役のオフィーリアを演じたのが篠原だ。劇団四季の看板俳優だった市村にとって、舞台はお手の物。対する篠原は、これが本格舞台への初挑戦。
戸惑う篠原を精神的に支えたのが市村だった。

結ばれなかった舞台とは違い、現実での2人は恋愛を成就させて行く。もっとも、当初は親子のような関係であり、市村にとって篠原は娘のような存在だったようだが……。

市村正親との出会いで女優として成長した篠原涼子


この舞台を経て、篠原は女優として大きくステップアップ。トップ女優として羽ばたくことになる。その原動力となったのが、市村の存在だったのは想像に難くない。

当時の市村には劇団四季時代に知り合った妻がいたが、夫婦仲は良好ではなかったという。
02年10月に別居が報道されたが、理由は「妻が十数年ぶりに劇団四季の舞台に復帰するために仕事を優先する」といったもの。
そこに篠原の影がチラつく気がするが、結局03年5月に離婚が成立。2人にとって法的な障害はなくなり、市村の母親も篠原に対して好印象。ゴールイン間近かと思われたが、篠原の父が結婚に反対を突きつける。

2人の年齢差は24歳。いくら若く見える芸能人とは言え、まさに親子のような年の差。
父親としては複雑である。ましてや、篠原が2歳の頃に妻を亡くし、男手ひとつで3人兄妹を育てている。様々な葛藤が渦巻いていたのは間違いない。

結婚を通じてタレント価値が上がった両者


それから3年後の2005年12月8日、市村正親と篠原涼子は結婚した。
テレビ局で会見を開いた篠原は「魅力的な人なら年齢なんて…」とのろけまくり。市村の魅力についても「明るくて、思いやりがあって、自分にないところをいっぱい持っていて」と饒舌だったのが印象深い。
プロポーズの言葉は「言えないです。
言っちゃうともったいないから」と照れながらも、嬉しさが隠しきれない様子だった。

「早く孫の顔が見たい」という市村の母の期待に応え、篠原は2008年5月に長男を出産。
市村はすでに59歳。仕事が終わると飲み歩いていた生活を改め、たばこもやめたという。当時、息子と同じ舞台に立ちたいという夢もインタビューで語っており、「よきパパ」となった市村のキャラクターはバラエティでも度々披露されることになり、好感度も急上昇。結婚を通じて、2人のタレント価値はバク上げ状態である。


披露宴を模した食事会と出産の後に待ち受けた悲劇のドラマ


この2人の結婚生活にはあまりにドラマチックなエピソードが多い。
2010年8月、篠原の故郷の群馬県内でチャペル付きの会場を借り切って、双方の親族を招いての食事会を開いている。これは闘病中の篠原の父にウエディングドレス姿を見せるために2人が企画したもの。

挙式・披露宴を行っていなかった2人からの感謝の気持ちだったのだろう。父親は感激のあまり涙ぐんでいたという。娘の幸せを見届けた3日後、篠原の父は帰らぬ人となった。
また、2012年2月には次男を出産したが、市村の母はこれを見届けるように出産翌日に87歳で亡くなっている。

早期胃がんも克服し、精力的に活躍中の市村正親。今後もドラマに舞台にパワフルな演技を見せてくれそうである。
それにしても気になるのは市村のプロポーズ内容。舞台やドラマで見るようなあの高いテンションで篠原にプロポーズをしたのだろうか? 興味は尽きないところである。

※イメージ画像はamazonより王様の家 DVD-BOX