巨人を出されるなら、野球を辞めます。

……って無茶苦茶だ。
でも、かつて本当にそんな時代があった。1985年オフに定岡正二は近鉄へのトレード通告をされたが、これを拒否。なんと29歳の定岡はそのまま引退してしまった。
82年には15勝を挙げ、このシーズンも47試合に登板していた元ドラ1投手の早すぎる現役引退。多摩川に2万人の女性ファンを集めた伝説を残し、「甲子園のアイドルから巨人のスター選手」というイメージのままで辞めた定岡は、翌年からスポーツキャスターやバラエティタレントとして活躍する。

まだ「元巨人」というブランド力に絶対的な価値があった昭和の話だ。
ちなみに86年オフ、ロッテの三冠王・落合博満と巨人のトレード話が進んでいた際に、交換要員として名前の挙がっていた篠塚利夫(後に和典に改名)も「巨人を出されるなら辞めます」と公言。結果的に落合は中日へ移籍することになる。 

巨人の主軸として活躍していた駒田


そんなジャイアンツ・アズ・ナンバーワン時代に自らチームを去った男がいる。93年オフにFA宣言をした駒田徳広である。
桜井商高から80年ドラフト2位で巨人入団(同年1位は原辰徳)。83年のプロ初打席ではいきなり満塁アーチをかっ飛ばす衝撃デビューを飾り、一躍「満塁男」として1軍定着。吉村禎章、槙原寛己らとの「50番トリオ」で人気を博す。
87年には初の100試合以上出場、翌88年から背番号10に変更し打率.307を記録。89年の日本シリーズでは「巨人はロッテより弱い」と名言を吐いた加藤哲郎からホームランを放ち、マウンド向かって「バ~カ」と叫んでMVP獲得。それから毎シーズン打率3割、20本塁打前後を記録する主軸打者として巨人を支えた。

駒田、中畑清と不仲に


だが、93年に長嶋監督が復帰してから駒田の立場が大きく変わる。致命的だったのが、新打撃コーチ中畑清との不仲だ。開幕前の3月20日にはオープン戦出場を巡り衝突。シーズン中にも送りバントのサインをきっかけに言い合いになり、「あの場面で2番に打たせて、3番に送りバントをさせる野球がどの世界にあるんですか?」と怒りを露わにする駒田。
5月22日にはスタメンを外され、89年から続いていた連続試合出場も450でストップ。
夏場には中畑が駒田の無気力プレーをマスコミを通して批判。広島遠征から戻った駒田は駅のキヨスクで、スポーツ新聞に『駒田トレード』の見出しを見つけて愕然としたという。

ミスターに直談判するも……


これまで多くの「巨人を出されるくらいなら野球を辞める」先輩方を見てきた。俺も終わりか……。間が悪いことに、この93年ストーブリーグからFA制度が導入されることになり、あの落合博満(中日)の巨人FA移籍が噂されていた。
さあどうする? 落合さんのポジションは自分と同じ一塁。
駒田は指揮官長嶋の意志を確認しようと再三面会を求めたが叶わず、ついに秋季キャンプ中に外野をランニング中の監督の元に向かい、自身の来季起用法について直談判。
するとミスターは「日本シリーズというビッグイベント前にそういう話はするな。新聞記者にお前と一緒の写真を撮られたら大変だ」と困惑しながら離れて行ったという。

横浜ベイスターズに移籍した駒田


そして、男は巨人から出ることを決意する。同時期にFAで揺れていた槙原寛己の自宅には、ミスターが17本のバラを持参して残留要請と話題になったが、駒田の元には何もない。結局、藤田巨人でヘッドコーチを務めていた近藤昭仁が監督を務める横浜ベイスターズへFA移籍。
この時、横浜では高木豊、屋鋪要、市川和正ら6名のベテラン選手が大量解雇され「駒田獲得資金か?」と物議を醸した。
先日の華やかな三浦大輔(DeNA)の引退会見からは想像もできないベテランリストラ劇だが、チームも選手もまだ始まったばかりのFA制度に不慣れだったのだろう。

移籍後の駒田、2000安打達成も……


94年の移籍当初は「都落ち」と思ったという駒田だが、時に横浜スタジアムで野次を飛ばすファンとケンカをしながらも、持ち前の熱さで若返ったチームを牽引。横浜時代は毎年150本前後のヒットをコンスタントに記録し、98年にはマシンガン打線の一員として38年ぶりの優勝に貢献した。
2000年にはついに2000安打を達成……と思いきや、残り30本に迫ったところで代打を出されたことに怒り狂い、「2軍でも何でもいいや!」と首脳陣批判をかまして試合中に帰宅。この職場放棄には罰金と2軍降格を命じられ、9月6日に2000安打に到達するも、その年限りで退団。現役続行を希望するも、時にチームの和を乱す激しいキャラが敬遠され、所属先が決まらず現役引退となった。

 
巨人からFA宣言をして国内他球団へ移籍した生え抜き選手は、いまだに駒田徳広ただひとり。誰もが巨人に憧れた時代に自ら巨人を出ることを選択した怒れる男は、通算2006安打中、その半分近い979安打を横浜在籍時に放っている。
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(参考資料)
プロ野球「トレード&FA」大全(洋泉社)