CDが最も売れた時代といわれる90年代。日本の流行歌は「JーPOP」と称され、人気絶頂だったトレンディードラマの主題歌に起用され、カラオケでもヘビーローテーションに。

小室哲哉、つんく♂らメガヒットプロデューサーがヒットを量産し、DREAMS COME TRUE、B'z、Mr.Childrenなど、20年以上も活躍を続けるビッグアーティストがブレイクした時代だった。

現在のようにアイドルグループが寡占するチャートとは異なり、多種多様なアーティストが目まぐるしくしのぎを削った時代。その最中、にわかに「長い曲名」をつけるのがはやった時期があったのだが、覚えているだろうか?
その萌芽は、前出のドリカムの『うれしはずかし朝帰り』『うれしい!たのしい!大好き!』(1989年)あたりから。このへんだとまだ「長いね」というか、「ドリカムっぽいね」という感想で片付けられるレベルだったかもしれない。

1993年に突如登場した「長い曲名」


だが1993年、突如としてあからさまな曲名がチャートをにぎわすことになる。一例を挙げると、『愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない』(B'z)『別れましょう私から消えましょうあなたから』(大黒摩季)『このまま君だけを奪い去りたい』(DEEN)『愛を語るより口づけをかわそう』(WANDS)……。
B'zに大黒摩季、槇原敬之も参戦! 突如勃発したJ-POP「長い曲名戦争」
『愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない』

いったい1993年に何があったのか。
実は上記4アーティストはみなビーイング所属の通称「ビーイング系」。小室サウンドブレイク前夜のこの時期、「ビーイング系」がこのブームを主導していたのが、どうやら真相らしい。
もっとも、曲名を考えるのをやめ、単にサビのフレーズを曲名に持ってきているだけのようにも思えるが……。

槇原敬之が連発する「長い曲名」


1993年に瞬間最大風速が吹いた後、何事もなかったかのようにブームは沈静化。しかし、その後も単発的ではあるが、長い曲名が現れては消えていった。

■1994年 小沢健二『東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー』
■1994年 篠原涼子『恋しさとせつなさと心強さと』
■1996年 槇原敬之『どうしようもない僕に天使が降りてきた』

特筆すべきは槇原敬之。
『どうしようもない僕に~』をさかのぼること6年、デビューアルバムに始まる「君」3部作で、『君が笑うとき君の胸が痛まないように』(1990年)『君は誰と幸せなあくびをしますか。』(1991年)など、ブーム以前から独特すぎるロングネーミングを炸裂させていたのだ。
B'zに大黒摩季、槇原敬之も参戦! 突如勃発したJ-POP「長い曲名戦争」
『君は誰と幸せなあくびをしますか。』

その後2000年代に入っても、『これはただの例え話じゃない』『明けない夜が来ることはない』と、長い曲名を連発している槇原。どうやら彼の中では、“長い曲名祭り”は永遠に続くようだった。
(青木ポンチ)

※イメージ画像はamazonより愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない