サッカー選手の海外リーグへの移籍。今では多くの国で日本人選手が活躍してるが、スペインリーグだけは誰一人として活躍できていない。


城彰二 日本人初のスペインリーグに


日本人選手として初めて、スペインリーグに足を踏み入れたのは城彰二。2000年にバジャドリードへレンタル移籍を果たす。シーズン途中での移籍ながら15試合で2ゴール。ゴール数は物足りないものの、ポストプレーヤーとして評価されレンタル延長や完全移籍の話も出ていた。しかし前十字靭帯断裂したままのプレーが発覚し、契約延長の話は立ち消えに。日本復帰することとなった。

8試合の出場に終わった西澤明訓


城の後に続いて挑戦したのは西澤明訓。2000年の12月にセレッソ大阪からエスパニョールに移籍したが、僅か8試合の出場に留まり半年でプレミアリーグに移籍した。


チームを救う活躍も 大久保嘉人の挑戦


大久保嘉人は2004年にマヨルカへレンタル移籍。デビュー戦で1ゴール1アシストを挙げ衝撃を与えたが、継続的な活躍ができずレギュラー定着には至らず。しかし、シーズン残り4試合で2ゴール2アシストを記録し、降格の危機だったマヨルカを救う活躍をみせた。
翌シーズンもマヨルカでチャンスを与えられたが、19試合連続ノーゴールといった結果を残すことができずに帰国することに。

「最悪の補強」中村俊輔の悪夢


スペインリーグの挑戦で最も期待を浴びたのは中村俊輔だろう。2009年にスコットランドリーグセルティックからエスパニョールへ完全移籍を果たす。スコットランドリーグの実績もあり、大きな期待を寄せられた。

しかしその期待は裏切られ、15試合の出場ノーゴールに終わり「最悪の補強」とまで批判されてしまった。

この他にも家長昭博や乾貴士などがスペインリーグに挑戦したが、成功したといえる成績を残していない。
日本人がスペインで活躍出来ない理由は複数あるだろうが、中村俊輔は「適応できなかった。スペイン語が話せなかったのも大きい」、大久保嘉人は「スペインでは日本人は馬鹿にされ差別された。選手でもチーノ(中国人)、チーノと言ってくる」と語っている。

(篁五郎)
※イメージ画像はamazonより中村俊輔―世界をかける背番号10―ファンタジスタ (スポーツ・ノンフィクション)