2010年12月のライブを最後に、音楽活動を休止している宇多田ヒカルの周辺が騒がしくなって来た。この春、新作アルバムが発売されるのでは?と噂されているのだ。
リリースとなると、2008年3月発売の5作目『HEART STATION』以来、8年ぶりとなる。
衝撃のデビューから17年、あらためて当時の音楽シーンに与えた衝撃を振り返りたい。

初登場はベスト10圏外だった『Automatic』


1998年12月9日、15歳で発売されたデビュー曲『Automatic/time will tell』。実は初登場時のオリコンチャートではベスト10圏外となっている。

当時は8cmシングルから12cmシングルに移行し始めた過渡期。宇多田ヒカルも3作目までは両方を発売していたが、オリコンのランキングでは8cm盤と12cm盤を別物として集計していたので、12cm盤が12位、8cm盤が20位の記録となっている。それぞれの売上も2.4万枚、1.7万枚と特筆すべき枚数ではない。

それが、なぜここまでの大ヒットとなったのだろうか?

音楽のプロ達が太鼓判を押す逸材だった宇多田ヒカル


そもそも、当初のプロモーションはラジオ出演のみだった。しかし、曲を聴いた音楽のプロ達がこぞって絶賛。外資系CDショップや各地のFMラジオ局が大プッシュすることとなったのだ。
さらに、CS放送時代の到来と重なったことも大きかった。デビュー曲は両A面扱いとあって2曲ともプロモーションビデオが作られているが、そのどちらもが当時のMTVやスペースシャワーTVなどの音楽チャンネルで連日ヘビロテされていた。
音楽にこだわる層に確実に浸透して行く形で、人気に火が点いていったと思われる。

確かにそのメロディ、歌声には既存の音楽シーンが一変するだけのインパクトがあった。
歌謡曲評論家としても名を馳せるミュージシャン、近田春夫は1999年にこう語っている。
「宇多田ヒカルはあっという間にすごいことになってしまった。何がすごいかって、彼女の出現で、ちょっと前まで勢いのあった人達がみな色褪せて見えてしまうのだ」

オリコンチャートベスト10中4曲が宇多田ヒカルだったことも


圧倒的な才能で音楽シーンを塗り替えてしまったことは、CDの売上からも見て取れる。
『Automatic/time will tell』は加速度的に売れ始め、翌99年2月8日付けのオリコンチャートの時点で累計100万枚を突破。その勢いのままに2月17日には2作目となる『Movin' on without you』を発売するが、3月1日付けのチャートではこの曲の12cm盤が1位なのを始め、ベスト10中4曲が宇多田ヒカルという快挙を成し遂げている。

1999年3月10日にはファーストアルバム『First Love』を発売するが、こちらは初動からいきなり200万枚突破の大記録を達成。この時点ですでにその人気は磐石、デビューわずか4ヶ月目にして日本の音楽史にその名を刻む存在となったのだった。


CDを買わない層もお店に走らせた!?


アメリカで生活していた帰国子女、弱冠15歳にして作詞作曲を手がける、しかも往年の演歌歌手・藤圭子の娘……。
マスコミが取り上げたくなる要素が十二分だったこともあり、一般週刊誌やワイドショーもこぞって特集を組み、人気は社会現象化。普段、CDを買わない層もこの波に乗りまくった。
当時、筆者は家電店のCDコーナーを担当していたが、常連だった演歌専門のお年寄りたちまでもが宇多田ヒカルに興味を持ち始めたのに驚いた記憶がある。また、多くの小学生たちが『だんご三兄弟』と一緒に買って行った姿も印象に残っている。

ファーストアルバムの売上は765万枚!母娘揃ってミリオンセラー


オリコンによると『First Love』の現時点での売上は前人未到の約765万枚! オリジナルアルバム、ベストアルバムを含めて日本のCDアルバムセールスでは堂々の歴代1位だ。
『Automatic/time will tell』は200万枚超え、『Movin' on without you』は150万枚超え、アルバムからのシングルカットとなる3作目の『First Love』も96万枚のメガヒットとなっている。

ちなみに、母・藤圭子は1969年、18歳の時に『新宿の女』でデビューしているが、この売上は約88万枚。
娘よりも30年近く前、しかもミリオンヒットが貴重だった時代の88万枚だから、途方もない大記録だ。
しかも、2作目の『女のブルース』は110万枚、3作目『圭子の夢は夜ひらく』120万枚、4作目『命預けます』105万枚と3作連続でミリオンを達成しているが、これがすべて1970年、デビュー2年目の出来事なのだから信じられない。
この母にしてこの娘あり、なのである。

宇多田ヒカル、音楽史に残る偉業の数々


シングルは現時点で21作がリリースされているが、その内9作がミリオン超え、残る12作もすべて20万枚超えだ。アルバム5作はすべてがミリオン超えの上、1作目から3作目まではすべて300万枚超え。しかも、アルバムを含めわずか3曲をのぞいて作詞・作曲が宇多田ヒカル自身なのだから、その才能たるや恐るべし!

心配なのはプライベートのみ!?


音楽面においてはまったく問題ないのだが、やはりファンとして気になるのはそのプライベートな部分。デビュー前のプロモーション用パンフレットにあったパーソナルデータにはこんな気になる記述がある。

「【行ってみたいところ】京都、ヨーロッパ(特にイタリア。イタリア語を習ってみたい)、メキシコ」
……イタリア人の再婚相手は必然だったのだろうか?

2001年秋発行のフリーペーパー『Utada mag(うたマガ)』vol.1では、父・宇多田照實と東芝EMIのプロデューサー・三宅彰が、宇多田ヒカルのあふれる才能を大絶賛する対談が掲載されているが、父は締めの一言としてこう語っている。
「ただ、男で失敗して欲しくないなと思ってるから、ほんといつも言ってんの。うん。『ちゃんと、合った良い男と付き合ってね』って。うん」
筆者も心からそう思う次第である……。

(バーグマン田形)