先日、神田正輝が三船美佳との交際を否定するために行われた「ブチ切れ会見」が大きな話題になった。
ところで、神田正輝の恋愛といえば、松田聖子との結婚が有名。
2人の間に誕生した娘こそが、歌手などで活躍する神田沙也加でもある。
今回はそんな神田正輝と松田聖子の結婚生活を振り返っていこう。

【郷ひろみと破局 1ヵ月後に結婚】


松田聖子は神田正輝と結婚する前、郷ひろみと交際していた。しかし、郷ひろみは聖子が芸能生活を続けることに反対したことなどもあり、泣く泣く破局に。
破局会見が行われ、聖子は「生まれ変わったら絶対に一緒になろうね」という名言も残した。

しかし、なんと松田聖子はこの破局会見の約1ヶ月後、1985年6月24日に神田正輝との電撃結婚を発表!
出会いは映画で共演したことであり、心労で倒れた聖子を神田正輝が見舞ったことがきっかけだったとか。

【魔性の女・松田聖子 数々のスキャンダルが話題に】


神田正輝は郷ひろみと違い、芸能界引退を求めなかったため、聖子は1986年に神田沙也加を出産した翌年、早くも芸能活動を再開させる。

しかしその一方で聖子は、神田正輝と結婚しているにもかかわらず、数々のスキャンダルを引き起こしていく。

まず、1989年2月に発覚した近藤真彦とのNY密会。当時、マッチは中森明菜と交際していたこともあり、世間に大きな衝撃を与えた。後に中森明菜は自殺未遂を図っており、この報道が原因だったのではないかという説も根強い。

次に1994年、1995年に出された語学教師のジェフ・ニコルスによる暴露本騒動。これは聖子が不倫していたことを明白にする内容で、本には数々のツーショット写真や、聖子からのラブレターも多数公開されていた。
さらにジェフは「聖子と結婚の約束をしていた」と語っている。

さらにスキャンダルはこれに留まらない。聖子のバックダンサーであったアラン・リードに逆セクハラで訴えられたこともあった。
彼は『週刊現代』にて、聖子と過ごした5年間の日々を告白。2年間に渡ってアランが性的関係を拒み続けたことなど、実に刺激的な内容だ。


これらの報道もあってか、松田聖子と神田正輝は1997年1月10日に離婚を発表し、12年の結婚生活に幕を閉じたのであった。